論点 · 思想と理論

AIで計画経済は可能か ― ハイエク vs ビッグデータ

「AIとビッグデータがあれば、もう市場はいらないのではないか」。静かに、しかし確実に再燃しているこの主張に、自由主義研究所として正面から答えます。計算能力が飛躍した現在だからこそ、この問いは以前より真剣に検討する価値があります。結論を先に言えば、自由主義研究所の答えは「否」です。ただし、AIに何もできないからではありません。ミーゼスの経済計算問題と、ハイエクが示した知識・発見の問題は、計算能力だけでは解消しないと考えるからです。

※ 本ページの位置づけ:本ページは応用編Ⅱ(リバタリアンと外部の論争)に属します。社会主義計算論争という、リバタリアニズム・オーストリア学派とその外部との論争を主題とするため、ミーゼスとハイエクの経済学の立場から検討し、研究所としての結論を示します。リバタリアン内部で意見が分かれる論点は応用編Ⅰで扱っており、そちらでは双方の論拠を並べて結論を出していません。最終更新:2026年8月16日

In Short

3つの要点

  • ハイエクが指摘したのは「計算が大変だ」という量の問題ではなく、計算に必要な知識がそもそも中央に集まらないという問題だった。
  • 価格は既知のデータから導かれた「答え」ではなく、競争という発見の手続きを通じて初めて生まれる。
  • AIは計算と予測を飛躍的に改善した。しかし経済計算・分散した知識の発見・情報を引き出すインセンティブの問題は、それだけでは消えない。またAIは集権の道具にも、分散の道具にもなる。どちらを選ぶかは技術ではなく私たちが決める。
目次

かつて計画経済が非効率だったのは、計算が追いつかなかったからだ、と説明されることがあります。膨大な財の需給を人間の官僚が手作業で調整するのは、そもそも無理があった、という説明です。

しかし今なら事情は違う。取引データをリアルタイムで集め、それを処理する計算能力もある。ならば国家は、市場より賢く、正確に資源を配分できるのではないか——。テクノロジーと大量のデータによって市場に代わる経済調整が可能になるのではないか、という議論は、一部のテクノロジー論者や社会主義者の間で再び提起されています。

では、AIは本当に市場を不要にするのでしょうか。以下では、計算能力の飛躍がハイエクの反論をどこまで変えるのかを、順を追って検討します。

01

これは、ほぼ1世紀前に始まった論争の延長線上にある

「AIで計画経済を」という発想は新しく見えますが、実はほぼ1世紀前に始まった論争の延長線上にあります。ただし、計算速度、センサー、リアルタイムデータ、機械学習という新しい条件が加わった以上、古い論争をそのまま繰り返せばよいわけではありません。何が変わり、何が変わらないのかを分ける必要があります。この一連の応酬は社会主義計算論争と呼ばれ、20世紀の経済学における重要な論争の一つとして広く論じられてきました1

口火を切ったのは1920年、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの論文「社会主義共同体における経済計算」でした2。生産手段——工場や機械や原材料——が国有化され、その市場価格が消えれば、計画当局は、限られた資源をどの用途に振り向けるのが最も価値があるかを計算する手立てそのものを失う。合理的な経済計算が原理的に不可能になる、という指摘です。

これに対し、反論が段階を追って組み立てられていきます。まずイタリアのヴィルフレド・パレートやエンリコ・バローネは、市場の均衡は理屈のうえでは需要と供給を表す膨大な連立方程式として書き下せる、と示しました。これに対しハイエクやライオネル・ロビンズは、理論上は解けても、数百万本にのぼる方程式を現実に解くのは非現実的だ、と切り返します。

そこからさらに一歩踏み込んだのが、1930年代、ポーランドの経済学者オスカー・ランゲらの市場社会主義でした。ランゲの提案は、方程式を直接解くというものではありません。中央計画当局が、いわばワルラス的な「競売人」を演じ、市場を経ずに「会計価格」を設定する。そのうえで品不足なら上げ、品余りなら下げる、という試行錯誤で調整を重ねていけば、市場と同じ均衡価格へ近づけるはずだ、というのです。試行錯誤するのは「市場」ではなく「当局」のほうだ、という発想です。

いま再燃している「AIで計画経済を」という主張は、構図としてはランゲの側に連なります。社会主義でも計算や調整によって市場と同じ均衡価格に届く——ランゲがそう論じたところに、現代の論者は「今なら計算能力がある」と付け加えました。最も素朴な形では、加わったのは計算能力だけで、議論の骨格は変わっていません。ただし、あとで見るように、より手強い議論はそこから一歩進み、計算能力ではなく「情報基盤そのもの」が市場に取って代わると主張します。この強い形にも、のちほど正面から答えます。

このランゲ流の市場社会主義に対しては、日本でも早くから批判の声がありました。経済学者の山本勝市は『計画経済の根本問題』(1939年)において、ミーゼスの経済計算不可能論を全面的に受け止めたうえで、試行錯誤によって擬似的な価格を探ろうとする「競争的社会主義」——テイラーやランゲらの立場——を逐一検討し批判を加えていきました。「AIで計画経済」という最新の装いをまとった議論の論点の多くは、90年近く前に日本人が批判的に論じていた市場社会主義と重なっています。(→ 日本の自由主義
↑ 目次へ戻る
02

代表的な三つの計画経済論

現代版の計画経済論は、ここでは便宜上、計算能力論デジタル・フィードバック論企業内計画論の三つに分けて、順に答えていきます。

計算能力論 ― コンピュータなら解ける

計算機科学者のポール・コックショットは、経済学者アリン・コットレルとの共著『Towards a New Socialism(新しい社会主義に向けて)』(1993年)で、こう論じました。労働時間を基準に経済計算を行い、それを現代のコンピュータ技術と組み合わせる。そうすれば、手計算ではとても扱えなかった膨大な財の配分も、現実的な時間で解ける、と。

彼らの主張の核心は、単なるハードウェアの速度だけではありません。疎行列や反復法といったアルゴリズムを用いれば、計算量を指数的にではなくほぼ財の数に比例する程度まで抑えられる、という点との両輪です。コックショット自身は近年、社会主義計算問題を文字どおり「コンピュータ工学の問題」だと位置づけています。

同じ発想は経済人の口からも出ています。アリババのジャック・マー(馬雲)は、2016年から17年ごろ、あらゆるデータにアクセスできれば市場の「見えざる手」すら可視化でき、計画経済はかつてより大きく機能しうる、と語ったと報じられています。要するに、ミーゼスやハイエクが正しかったのは計算機が貧弱だった時代の話にすぎない、という立場です。

デジタル・フィードバック論 ― 市場以外の発見手続きは作れる

しかし、私たちが本当に答えるべきなのはこちらです。その代表が思想家エフゲニー・モロゾフです。彼は論文「Digital Socialism?(デジタル社会主義?)」(New Left Review 誌、2019年)で、ハイエクの知識論の手強さを正面から認めます。

そのうえで彼は、こう問いかけます。無数のセンサーやプラットフォームが生み出す相互作用のネットワーク——つまりデジタルなフィードバックの基盤——は、市場に代わる新しい「発見の手続き」を左派に与えられるのではないか。さらに彼は、ハイエクの1945年論文の題名をもじって、むしろ「社会における知識の『不』使用」と呼ぶべきだと皮肉ります。価格が働くのは、人々が世界について詳しく知らなくても行動できるからだ。だとすれば価格は、知識を活かす仕組みではなく、知識を使わずに済ませる仕組みではないか——そういう反論です。

企業内計画論 ― ウォルマートやアマゾンはすでに計画している

三つ目に、いちばん実感しやすい主張があります。リー・フィリップスとミハル・ロズワースキの『人民のウォルマート』(Verso、2019年)です。ウォルマートやアマゾンの内部では、何万という品目にわたる多くの社内取引が、外部市場での個別売買ではなく、経営上の指示と計画によって調整されている。事実上の計画経済がすでに高効率で回っているではないか、それが一社の規模で可能なら、十分な計算能力さえあれば社会全体でも可能なはずだ、というわけです。

これらは、正面から検討する価値のある主張です。とりわけモロゾフのデジタル・フィードバック論は、ハイエクを誤解したのではなく、読み込んだうえで挑んでいます。だからこそ以下では、計算能力論だけに答えるのではなく、この議論も詳しく検討します。

↑ 目次へ戻る
03

知識の問題は、「計算能力」の問題ではない

まず、計算能力論から見ていきましょう。私たちは、この立場はハイエクの反論の核心を捉えていないと考えます。ハイエクが指摘したのは「計算が大変だ」という量の問題ではありません。「計算に必要な知識が個々人の間に分散し、中央が完全かつ最新の形で集めることがきわめて難しい」という、より根本的な問題でした。

ハイエクは1945年の論文「社会における知識の利用」でこう述べています3。社会の経済問題は、単一の頭脳に「与えられた(given)」データをもとに最適配分を解く、といった種類の問題ではない、と。彼は given という語にわざわざ引用符を付け、この前提そのものに疑いの目を向けてみせます。

最適化に必要なデータが、どこかに——中央のだれかの手元に——すでに揃っている。方程式を解くという発想も、現代のビッグデータ論も、ひとしくこの前提の上に立っています。ランゲの試行錯誤は、むしろこの前提を避けようとして、品不足・品余りというフィードバックをたよりに価格を探る道を選びました。しかしそれでも、当局が模擬する価格は、刻々と生まれ変わる資本財の市場や、財産を賭けた企業家の判断まで再現することはできません。ハイエクが崩したのは、これらの立場がいずれも暗に頼っている「市場を経なくても、市場と同じ情報が手に入る」という前提そのものだったのです。

私たちが利用しなければならない諸事情についての知識は、決して「集約され統合された形」では存在しない、とハイエクは言います。それは、すべての個々人がばらばらに持っている、不完全で、しばしば互いに矛盾しさえする知識の断片としてのみ存在する、と。

では、なぜすべてをデータ化できないのでしょうか。ハイエク的な知識問題を、暗黙知も含めて整理すると、少なくとも三つの理由があります。

第一に、多くの知識は「言葉にできない」形をとります。ある熟練工が、機械の微妙な異音から不調を察知する。ある店主が、この地域では夕方にこの商品が売れると肌で知っている。こうした暗黙知は、本人ですら完全には言語化できないことが多いものです。センサーや行動ログから一部を推測できる場面は増えましたが、標準化されたデータとして中央に完全に移すことは難しく、推測できた部分が知識そのものと同一になるわけでもありません。

第二に、多くの知識は「その場・その時」に固有です。ある倉庫に、今たまたま余剰スペースがある。ある職人が、来週なら手が空く。ある地域で、天候の急変によって明日から需要が変わりそうだ——。デジタル技術は、こうした情報を集める速さを大幅に高めました。それでも局所的な変化は絶えず起こり、収集・標準化・更新それ自体にコストと遅れが生じます。世界は、計画の完成を待ってはくれません。

第三に、そもそも人々の選好は刻々と変わります。何を欲しいと思うかは、他人が何を選ぶか、価格がどう動くかを見ながら、その都度更新されていく。人々の好みの一部は、アンケートや行動履歴から推測できます。しかし新しい商品や価格、他人の選択に直面してはじめて形成・発見される選好もあります。固定された「需要のデータ」があらかじめ完成していて、それを吸い上げればよい、というものではありません。

計算能力がどれだけ上がっても、集約できない知識は集約できない。

入力できるデータが社会の知識の一部にとどまる以上、演算をいくら速くしても、この問題は残ります。AIは入力されたデータを驚異的な速さで処理し、観測データから未知のパターンを推論することもできます。しかしその推論は、社会に存在するすべての局所知・暗黙知・まだ生まれていない選択肢が、完全なデータとして与えられていることの代わりにはなりません。この点で、「計算力さえ上がれば」という前提は成り立たなくなります4

↑ 目次へ戻る
04

価格は「最適化計算」ではなく「発見の手続き」である

さて、いよいよモロゾフのデジタル・フィードバック論です。彼はハイエクの知識論を認めたうえで、デジタル基盤が市場に代わる「発見の手続き」になりうると言いました。ここに正面から答えます。

決定的なのは、市場価格の成り立ちです。価格は、既知のデータから計算された「答え」ではありません。競争という発見の過程を通じて形成され、分散した情報を伝えるものです。ハイエクは1968年の講演「発見手続きとしての競争」でこの点を突き詰めました5。競争とは、それがなければ誰にも知られないまま、あるいは活用されないままだったはずの事実を、発見するための手続きである、と。どの生産方法が最も安いのか。消費者が本当のところ何を求めているのか——これらは競争が実際に行われてはじめて分かることであって、競争を始める前から誰かの手元にあるデータではありません。

「最適化」には、あらかじめ盤面がある。市場には、それがない。

最適化は、目的関数と制約条件があらかじめ与えられている問題です。将棋やチェスのように盤面とルールが確定していれば、AIは人間を圧倒します。しかし市場は、盤面そのものが刻々と描き変わり、プレイヤー自身が「何を欲しいか」を対局しながら発見していくゲームです。最適化すべき固定の「正解」が、最初から存在しません。

ここがモロゾフへの答えになります。デジタルなフィードバック基盤は、過去を記録するだけではありません。予測し、シミュレーションし、実験によって新しい情報を作ることもできます。ここはAI時代に本当に変わった点です。

それでも残る問いは、まだ誰も思いついていない技術・商品・事業モデルまで含む選択肢を、誰がどの基準で探索し、その成功と失敗を何によって評価するのかです。「この価格でなら、誰がどんなまだ存在しない事業に挑もうとするか」は、試されるまで分かりません。

「プラットフォームは実験している」という反論に答える

ここで、モロゾフ派はこう反論するでしょう。プラットフォームは過去のログを見るだけではない。A/Bテストや動的価格づけによってリアルタイムに実験し、未知を能動的に探索しているではないか、と。これは重要な反論なので、正面から考えます。

まず認めるべきことがあります。非市場的な仕組みでも、新しい知識を発見することはできます。科学研究、大学、オープンソース、公的研究機関、企業内のR&D——いずれも市場での売買を経ずに新しい知識を生み出してきました。A/Bテストやシミュレーションも、その好例です。

問題は「発見が可能かどうか」ではありません。経済全体で、希少な土地・労働・機械・原材料・資本を、競合する用途のどこへ振り向けるのかを、何によって比較するのかです。

市場経済の企業が実験を行うとき、その経済的な評価には、外部市場の価格、資本コスト、顧客の支払い、利益と損失が使われます。どの選択肢を実験の俎上に載せるか、どの結果を「成功」と見なすかも、そこから決まります。非市場的な発見が可能かどうかではなく、この評価と規律を経済全体で何が代替するのか——ここが残る争点です。

そして彼の言う「知識の『不』使用」という皮肉も、実は的を外しています。価格が「人々は世界を大して知らなくても行動できる」ようにしてくれること——それは欠陥ではなく、まさに核心的な機能なのです。価格の強みは、参加者が背後の事情をすべて知らなくても、希少性や代替用途の変化に対応するために必要な情報の一部が、簡潔な信号として伝わることにあります。ハイエクが強調したのは、この「知識の節約」でした。

第三の壁 ― 誰が本当のことを入力するのか

ここまでは「発見の手続き」そのものをめぐる回答でした。しかし計画経済には、それとは別に、もうひとつ独立した壁があります。ミーゼスの計算問題、ハイエクの知識・発見の問題とも異なる、いわば第三の壁——情報を正直に「顕示」させられるか、という問題です。

市場では、多くの判断が実際の支払い・投資・損失の可能性と結びついています。口で何と言うかではなく、自分がコストを負う選択によって情報が示される。だから、一定の規律が働きます。ところが計画当局への申告では、自分に有利な情報を出す誘因が生じます。ノルマを軽くするため生産能力を低く申告し、予算を多く取るため需要を高く申告する。所有権とインセンティブが切り離された瞬間、AIが処理する以前に、入力されるデータそのものが戦略的に歪められはじめるのです。

AIは異常検知や不正の発見だけでなく、よりよいインセンティブ設計を支援することもできます。しかし、誰が利益を受け、誰が損失を負い、どの情報を開示する動機を持つかという制度そのものを、AIが自動的に決めてくれるわけではありません。これは計算能力とは別の、制度設計の問題です6

↑ 目次へ戻る
05

ウォルマートは「市場の海に浮かぶ計画の島」にすぎない

残るのは企業内計画論、『人民のウォルマート』です。「巨大企業の内部が計画で回っているのだから、社会全体の計画も可能だ」——この議論には、一見もっともらしい一方で、重要な取り違えがあります。

たしかにウォルマートやアマゾンは、社内を市場ではなく計画で回しています。しかしそれは、市場という海に浮かぶ「計画の島」にすぎません。彼らが社内で合理的に計算できるのは、島の外に市場価格が存在し、投入物の機会費用——ある資源をこの用途に使えば、代わりに何をあきらめることになるのか——を絶えず教えてくれるからです。

トラックを一台増やすべきか、倉庫をもう一棟建てるべきか。その判断は、社外の市場が付けた鉄鋼・燃料・土地・労働の価格を参照して、はじめて成り立ちます。つまり企業は、外部市場から原材料・労働・土地・資本の価格を受け取り、売上・利益・損失によって自らの計画を評価しています。企業内計画がうまくいくことだけから、その外部市場まで廃止できるとは直ちには言えません。この二つを同じ言葉で括ってしまう混同が、議論を分かりにくくしてきました7

しかも、島にはもうひとつ規律があります。ウォルマートもアマゾンも、損益と競争に絶えずさらされ、間違え続ければ市場から退場させられます。かつて小売の巨人だったシアーズが、Chapter 11(連邦破産法第11章=再建型の倒産手続き)を申請し、巨大チェーンとしては事実上崩壊したように。ところが社会全体を担う計画当局には、企業の倒産や退出と同型の規律が働きにくいのです。

そして、仮にビッグデータがハイエクの知識問題を大幅に緩和したとしても、生産手段を全面的に社会化し、その私有市場を廃止するタイプの計画経済では、生産手段の市場価格をどう形成するのかというミーゼスの問題が残ります8

↑ 目次へ戻る
06

中国のAI国家戦略も、「勝者選び」の産業政策も、同じ壁にぶつかる

ここまで来れば、話は現代に直結します。

中国は2017年、国務院が「次世代人工知能発展計画」を公表し、2030年までにAIの理論・技術・応用で世界トップに立ち、「世界の第一のAIイノベーション中心」になるという国家目標を掲げました9。中国政府の計画は市場の役割も認めています。一方、AIを国家戦略に位置づけ、産業や社会統治への大規模な導入を進めている点について、自由主義研究所は、デジタル技術による中央集権的な政策運営という観点から注目しています。

AIは情報収集と予測を大きく改善しました。それでも、暗黙知や局所知をどこまでデータ化できるか、変化する選好をどう捉えるか、情報を正直に表明させる制度をどう設計するかという問題は残ります。ハイエクとミーゼスの問題提起は、計算機の性能が上がるだけでは片づきません。

「勝者を選ぶ」産業政策

同じことは、いま世界中で復活している産業政策にも当てはまります。産業政策には、外部性への対応や経済安全保障といった別の根拠が論じられることもあります。ただし、政府が特定の企業や特定の技術に資源を集中させるタイプの政策には、ある判断が前提として含まれています。すなわち、政府は将来価値を市場より適切に見抜ける、あるいは政策介入によってその価値を生み出せる、という判断です。

しかし、どの技術が長期的に大きな価値を生むかを、事前に確実に知ることはできません。市場競争は、それを発見し検証する重要な仕組みの一つです。産業政策も、計算能力ではなく知識の問題に直面します。この論点は、近年のオーストリア学派・古典的自由主義からも繰り返し指摘されています10

日本も他人事ではありません。次世代半導体の国産化を目指すラピダスには、2026年4月までに研究開発支援として累計2兆3,540億円が承認され、さらに政府は2026年6月までにIPAを通じて計2,500億円を出資しています11。支援と出資では制度・会計上の性格が異なるため単純合算には注意が要りますが、政府が巨額の公的資源を特定のプロジェクトへ振り向けていることは明らかです。

この投資が最終的に成功するかどうかを、ここで断定することはできません。ここで問いたいのは、成功と失敗を事前に誰がどこまで判断できるのか、そして判断を誤った場合の損失を誰が負担するのかという制度上の問題です。

ソ連の計画経済の問題は、計算速度だけには還元できない

思い出してほしいのは、ソ連が計画経済で西側に敗れたのは、コンピュータが遅かったからではない、ということです。ソ連にも、線形計画法の先駆的研究を行いノーベル経済学賞を受けたカントロヴィチのような優秀な数学者がいましたし、経済全体を計算機ネットワークで管理しようというOGAS構想さえありました。

ソ連崩壊と経済停滞の原因は、政治制度、軍事負担、技術、エネルギー、民族問題など多岐にわたり、経済計算論だけで説明できるものではありません。ただし、計算技術を導入しようとする試みは、実際に存在しました。問題を「コンピュータがなかったこと」に還元できない理由が、ここにあります。ミーゼスとハイエクの観点から見れば、欠けていたのは計算速度や計算の構想ではなく、市場価格が伝える分散した知識でした。

↑ 目次へ戻る
07

AIは「集権」の道具にも「分散」の道具にもなりうる

ここまでは、いわば「AIがあっても計画経済の問題は残る」という議論でした。しかし本当に重要なのは、その先です。

ただし、ここで正直に言っておかなければなりません。AIそのものが、必ず分散をもたらすわけではありません。国家や巨大企業が大量のデータを集め、国民を監視し、行動を予測・誘導するための、強力な集権の道具にもなりえます。中国の顔認証や監視ネットワークは、まさにその一面です。技術それ自体は、集権にも使えてしまうのです。

しかし同時にAIは、これまで高価な専門家や大組織でなければできなかったことを、個人にも開放します。翻訳、設計、分析、創作、プログラミング——AIは、分散した個人が持つ知識と能力を大きく高める道具でもあります。個々人がその場で持つ局所的な知識に強力な道具が加わるという意味で、これは、ハイエクが描いた「分散した知識を活かす社会」を、いわば強化する方向でもあるのです。

問われているのは技術ではなく、AIをめぐる制度と権力のあり方である。

AIには、国家や巨大組織へ情報と権力を集中させる方向と、個人の能力を高め、分散した知識をより有効に活かす方向の両方があります。だとすれば、「AIの覇権を国家が握る」という発想自体を問い直す必要があります。自由な社会にとって重要なのは、国家が最も強力なAIを独占することではなく、多くの個人や企業がAIを自由に利用し、競争し、試行錯誤できる環境を守ることです。

↑ 目次へ戻る
08

見えない知識を、誰の手に委ねるのか

デジタル計画経済論には、確かに考慮すべき点があります。巨大企業の内部が計画で動いていることも、計算能力が飛躍的に向上したことも事実です。それらを頭から否定するのは適切ではありません。

しかし、それでもなお、結論は動きません。知識の問題は、計算能力だけの問題ではないからです。価格が伝える分散した知識——言葉にできない暗黙知、その場その時の局所知、刻々と変わる選好——のすべてを、一つの中央機関に完全かつ最新の形で集約することはできません。

AIは計算速度の問題を大幅に緩和できます。しかし、市場価格の形成、分散した知識の発見、戦略的な情報申告、損益による規律といった問題を、それだけで解決することはできません。したがって、ミーゼスとハイエクが指摘した計画経済の根本問題は、AIの登場によって消滅したわけではありません。自由主義研究所は、とりわけ私有財産と生産手段の市場を廃止する全面的な計画経済では、AIを用いてもミーゼスの経済計算問題は解消しないと考えます。AIの進歩は社会主義計算論争を終わらせるのではなく、「市場は何をしているのか」をより精密に問うことを私たちに迫っています。

そして、より大切なのはその先にあります。AIは、国家が私たちを管理するための道具になることもできれば、私たち一人ひとりが許可を待たずに使う自由の道具になることもできます。どちらを選ぶかは、技術が決めるのではありません。私たちが決めるのです。

AIが進歩しても、市場価格を消した経済に、市場価格そのものが自動的に生まれるわけではない。

見えない知識を、どこまで中央に集め、どこまで個人・企業・地域・自発的な組織の分散した判断に委ねるのか。

ミーゼス以来の問いに、AIが新しい答えを自動的に与えてくれるわけではありません。むしろ、その問いをいっそう切実にしました。私たちは、その問いに自由の側から答え続けるために、これからも研究と発信を続けます。

↑ 目次へ戻る
References

出典・参考リンク

  1. 社会主義計算論争の概観 — Libertarianism.org, "The Socialist Calculation Debate"
  2. ミーゼス「社会主義共同体における経済計算」(1920年) — Mises Institute(英語全文)
  3. ハイエク「社会における知識の利用」(1945年) — Econlib(英語全文)
  4. Hamoon Soleimani「AIとビッグデータでは経済を計画できない理由」(2026年3月9日) — Mises Wire
  5. Paul Cockshott & Allin Cottrell『Towards a New Socialism』(1993年) — University of Glasgow(著者公開版)(本文で扱った計算能力論の原典)
  6. Evgeny Morozov「Digital Socialism?」(New Left Review 116/117、2019年) — New Left Review(本文で扱ったデジタル・フィードバック論の原典)
  7. Leigh Phillips & Michal Rozworski『The People's Republic of Walmart』(Verso、2019年) — Verso Books(本文で扱った企業内計画論の原典)
  8. ハイエク「発見手続きとしての競争」(1968年講演) — Mises Institute
  9. Mark A. DeWeaver「より賢いコンピュータが社会主義を機能させない理由」(2020年8月18日) — Mises Wire
  10. Márton Kónya『人民のウォルマート』への学術的反論(Quarterly Journal of Austrian Economics 23巻1号、2020年) — 全文
  11. Tho Bishop「ビッグデータだけでは社会主義は機能しない」(2018年3月16日) — Mises Institute, Power & Market
  12. 中国「次世代人工知能発展計画」(2017年、国務院)全訳 — DigiChina, Stanford University
  13. Donald J. Boudreaux「産業政策と知識の問題」(2023年4月17日) — The Daily Economy
  14. ラピダスへの政府支援 — 研究開発支援の累計額はITmedia NEWS(2026年4月)、政府出資はIPA プレスリリース(2026年6月5日、追加出資1,500億円・出資総額2,500億円)

※ リンク先は各公開元のサイトです。所在は掲載時点のものです。

この論点をもっと知る

論争の当事者であるミーゼスとハイエク、そしてこのテーマを読み進めるための本をご案内しています。