Thinkers

自由主義の思想家

自由主義は、一人の天才が設計した思想ではありません。17世紀以来、多くの思想家が先人の議論を受け継ぎ、ときに批判し、修正しながら発展させてきた思想の系譜です。誰が何を考え、何を主張したのかをたどると、いま私たちが直面している論点の多くが、以前から繰り返し問われてきたことに気づきます。

In Short

3つの要点

  • 自由主義研究所が重視する現代リバタリアニズムの思想的背景には、17〜19世紀に形成された古典的自由主義という政治思想と、1871年のメンガーから始まるオーストリア学派という経済学の、二つの重要な流れがあります。両者は別の系譜ですが、20世紀にはミーゼスやロスバードらを通じて強く結びついていきました。
  • 自由主義研究所がとりわけ重視するのは、ミーゼス・ハイエク・ロスバードの三人です。
  • この系譜は一枚岩ではありません。内部の対立をなかったことにしないことが、思想を正確に理解するために重要です。
目次
01

系譜をひと目で

自由主義研究所が拠って立つのは、経済学としてのオーストリア学派と、政治思想としてのリバタリアニズムです。この二つは同じものではありませんが、20世紀の自由主義思想のなかで強く結びついてきました。

なかでもロスバードは、ミーゼスから受け継いだオーストリア学派経済学と自然権論を結びつけ、無政府資本主義として体系化した代表的な思想家です。

まず、経済学の側の流れを見てみましょう。

世代人物この人が動かしたこと
第一世代
1871–
カール・メンガー価値は物そのものに内在するのではなく、人がその財をどのように評価するかによって決まるという主観価値論を展開し、限界効用の考え方を示した。1871年の『国民経済学原理』からオーストリア学派が始まる。
第二世代ベーム=バヴェルク資本と利子を、時間をまたぐ生産と人々の評価から分析した。マルクスの資本・利潤論に対する本格的な批判も残した。オーストリアの財務相を3度務めた実務家でもある。
第三世代ミーゼス生産手段の私有と市場価格がなければ、社会主義経済では合理的な経済計算ができないと論じた。さらに経済学を「行為する人間」から出発する体系として構築した。
第四世代ハイエクロスバードハイエクは、社会に必要な知識は一か所に集まっているのではなく、多くの人々に分散しているという論点を発展させ、経済制度・法・政治哲学へ議論を広げた。ロスバードはオーストリア学派経済学と自然権論を結びつけ、リバタリアン思想を体系化するとともに、その運動の形成にも力を注いだ。
現在ヒュルスマン/ウエルタ・デ・ソト/ホッペ ほかヨーロッパやスペイン語圏を含む各地で、オーストリア学派とリバタリアニズムの研究・教育・普及が続いている。

もう一つ、政治思想としての自由主義の流れがあります。

ロックの自然権論、スミスやバスティアによる自由な経済秩序の議論、トクヴィルやアクトンによる政治権力への警戒——こうした古典的自由主義のさまざまな流れは、20世紀にオーストリア学派経済学とも強く結びつき、現代リバタリアニズムの重要な思想的源流の一つとなりました。

自由主義研究所が特に重視しているのは、この二つの流れが交わる系譜です。

↑ 目次へ戻る
02

まず知りたい三人

この三人を押さえると、自由主義研究所がどのような思想を土台に発信しているのかが見えやすくなります。それぞれに個別の解説ページを用意しています。

03

その前後にいる人々

三人の前後には、彼らが読み、批判し、受け継いだ思想家がいます。名前と位置関係を知るだけでも、議論の見通しがよくなります。

古典的自由主義の源流(17〜19世紀)

ジョン・ロック(1632–1704)
生命・自由・財産に対する自然権を説き、のちの「自己所有権」につながる思想の重要な源流となった。政府が人々の信託に背いたときの抵抗権も論じ、アメリカ革命期の政治思想に大きな影響を与えた、近代自然権論の中心人物。
アダム・スミス(1723–1790)
『国富論』(1776年)で、分業・交換・市場の拡大が国を豊かにする仕組みを論じた「経済学の父」。ただしオーストリア学派には、価値論などをめぐってスミスを批判的に評価する立場もある。
フレデリック・バスティア(1801–1850)
「見えるものと見えないもの」で、政策の目に見える効果だけでなく、その陰で失われる別の可能性にも目を向ける視点を示し、保護主義と社会主義の双方に論戦を挑んだ。自由主義の古典のなかでも、特に読みやすい著者の一人。
アレクシ・ド・トクヴィル(1805–1859)
『アメリカにおけるデモクラシーについて』で、民主主義が「多数者の専制」や、穏やかな形の専制へと転じうる危険を早くから指摘した。
アクトン卿(1834–1902)
「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」。自由の歴史を、権力への抵抗の歴史として書こうとした歴史家。

オーストリア学派の系譜

カール・メンガー(1840–1921)
オーストリア学派の創始者。新聞の市況欄を書く仕事のなかで、当時の価格理論と市場の実務家が重視する現実との食い違いに気づいたことが、価格理論の研究へ向かう契機になったと伝えられる。
ベーム=バヴェルク(1851–1914)
メンガーとミーゼスをつなぐ第二世代の巨匠。ウィーン大学のゼミには、ミーゼスやシュンペーターだけでなく、オットー・バウアーやルドルフ・ヒルファーディングなどのマルクス主義者も参加し、立場を超えた活発な議論が行われた。
ヘンリー・ハズリット(1894–1993)
大学教授ではなく、経済ジャーナリスト。『世界一シンプルな経済学』などを通じて、自由市場の経済学を一般読者に伝えた重要な普及者。ミーゼスやハイエクとも親交が深く、オーストリア学派の思想を英語圏に広めるうえで大きな役割を果たした。
ハンス=ヘルマン・ホッペ(1949– )
ロスバードの思想を継承・発展させた代表的なリバタリアン思想家。ハーバーマスに学び、ハーバーマスやカール=オットー・アーペルの議論を手がかりに、私有財産とリバタリアニズムを正当化する独自の「論証倫理」を構築した。パレオリバタリアニズムを代表する論者の一人。
ヘスース・ウエルタ・デ・ソト(1956– )
スペイン語圏を代表するオーストリア学派経済学者。マドリードのレイ・フアン・カルロス大学で、オーストリア学派経済学を専門とする修士課程の教育・発展を担ってきた。その講義はYouTubeでも広く公開され、ミレイ自身も、ミーゼスらを読み進める一方でウエルタ・デ・ソトの講義を視聴していたと語っている。
ヨルグ・グイド・ヒュルスマン(1966– )
フランスのアンジェ大学で研究・教育に携わるオーストリア学派経済学者。ミーゼスの大部の評伝『Mises: The Last Knight of Liberalism』を著し、貨幣・銀行制度についても、不換紙幣や部分準備銀行制を経済学だけでなく倫理の側面から批判してきた。

現代の自由主義・リバタリアニズムをめぐる人々

ロバート・ノージック(1938–2002)
ハーバード大学の哲学者。『アナーキー・国家・ユートピア』で、個人の権利を出発点に、正当化できる国家は最小国家までであると論じた。1975年、同書で全米図書賞を受賞。
ジェームズ・ブキャナン(1919–2013)
公共選択論の創始者の一人。政治家・官僚・有権者も、それぞれのインセンティブのもとで行動するという視点から、政治を理想化せずに分析する枠組みを発展させた。1986年ノーベル経済学賞受賞。
デイヴィド・フリードマン(1945– )
ミルトン・フリードマンの息子。父とは異なり無政府資本主義の立場をとり、法や治安を含むサービスも市場で供給しうると『自由のためのメカニズム』で論じた。ロスバードの自然権論とは異なり、結果や制度の働きから無政府資本主義を擁護することで知られる。
ウォルター・ブロック(1941– )
『不道徳な経済学』で、売春、闇金融、転売など、社会から嫌悪されがちな職業や行為をあえて取り上げ、他人の権利を侵害していない行為まで禁止すべきなのかを問い直した。挑発的な題材を通じて、リバタリアンの原則をどこまで一貫して適用できるかを試すような著作である。
ロン・ポール(1935– )
米国の元下院議員・医師。連邦準備制度の廃止、政府支出の削減、非介入主義的な外交などを訴え、2008年と2012年の大統領選挙を通じて、若い世代を含む多くの人々にリバタリアニズムを広めた代表的な政治家。
↑ 目次へ戻る
04

日本の自由主義

自由主義は「輸入された思想」と言われがちですが、日本にも、いま改めて読み返す価値のある思想家がいます。ここでは網羅的な系譜ではなく、自由主義研究所がとりわけ重視する二人を紹介します。

1835–1901

福澤諭吉

「一身独立して一国独立す」。門閥や権威に依存せず、自分で考え、自分の力で生きる——福澤の「独立自尊」の思想は、日本における自由主義の重要な源流の一つです。

「門閥制度は親の敵」と封建的な身分制度を厳しく批判し、学問についても「人間普通日用に近き実学」を重視しました。いずれも福澤自身の著作に確認できる表現です。

ただし、福澤の自由主義は、自然権論から体系的に導き出されたものではなく、個人の独立と文明化、そして国家の独立という問題意識と強く結びついていました。そのため、福澤を現代のリバタリアニズムとそのまま重ねることはできません。

1896–1986

山本勝市

社会主義経済計算論争を、日本で早くから本格的に研究・紹介した経済学者。京都帝国大学で河上肇に学び、若い時期には社会主義に強い関心を持ちましたが、欧州留学やソ連訪問を経て、社会主義・計画経済への批判を強めていきました。

戦時下には統制経済を批判し、戦後には『福祉国家亡国論』などを通じて、福祉国家の膨張にも警鐘を鳴らしました。

1939年の『計画経済の根本問題』は、ミーゼスらによる社会主義経済計算論争を踏まえ、計画経済が直面する問題を日本語で本格的に検討した著作です。同書は現在も「原典社会主義経済計算論争」の一冊として位置づけられています。当研究所では、この山本勝市を読む読書会も実施しました。

↑ 目次へ戻る
05

立場は違うが、避けて通れない人

自由市場を擁護する経済学者のなかで、日本でも特によく知られているのがミルトン・フリードマン(1912–2006)です。1976年にノーベル経済学賞を受賞し、『選択の自由』やテレビ番組を通じて、自由市場の考え方を広く一般に伝えました。

ただし、フリードマンはオーストリア学派ではありません。シカゴ学派・マネタリズムを代表する経済学者で、中央銀行による裁量的な金融政策を強く批判し、貨幣供給を一定率で増やすルールを提唱しました。さらに、FRBそのものを廃止して自由銀行制に移行する案や、FRBをコンピューターに置き換え、あらかじめ定めたルールに従って貨幣量を増やす構想にも賛意を示していました。

中央銀行への批判という点では、フリードマンとオーストリア学派には重なる部分があります。しかし、理論の出発点と経済を分析する方法は大きく異なります。

貨幣量と物価・景気との関係を重視するフリードマンのマネタリズムに対し、自由主義研究所が重視するオーストリア学派は、貨幣や信用がどのような経路で経済に入り、金利や投資、生産構造をどう変えていくのかという過程を重視します。また、中央銀行が適切な貨幣量を管理できるかという問題だけでなく、中央銀行制度そのものを問い直す論者も多くいます。

福祉政策についても違いがあります。フリードマンは、複雑な福祉制度を負の所得税に置き換えることで、貧困層への支援をより簡素にし、行政コストや官僚機構を縮小しようとしました。一方、政府による再分配そのものをさらに縮小すべきだとするリバタリアンからは、この構想についても評価が分かれます。

同じ「自由市場の味方」でも、どこまで政府を認めるか、そして自由市場をどのような理論から擁護するかは違います。

自由主義研究所は、フリードマンを味方か敵かで分けるのではなく、比較の相手として扱います。どこが同じで、どこが違うのかを見ることは、自分たちの立場を正確に知る近道です。

↑ 目次へ戻る

読んでみる

ここで挙げた思想家の著作は、多くが日本語で読めます。英語でよければ全文が無料で公開されているものも少なくありません。目的別の読書案内をご用意しています。