Thinkers · 1881–1973

ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス

社会主義を単に道徳の問題として批判するのではなく、1920年の経済計算論で、生産手段の市場価格がなければ合理的な経済計算はできないという制度上の問題を示した経済学者です。その指摘は、1世紀を経たいまも、社会主義や計画経済をめぐる議論の重要な出発点であり続けています。

In Short

3つの要点

  • 生産手段の私有と市場交換が廃止された社会主義では、生産手段の市場価格が成立しない。そのため、異なる生産方法を貨幣単位で合理的に比較できない——これが1920年の経済計算論の核心です。
  • 経済理論を統計的な帰納から導くのではなく、「人間は目的をもって行為する」という出発点から、論理的・演繹的に組み立てる方法を採りました。ミーゼスはこれを「プラクシオロジー(人間行為学)」と呼びました。
  • ナチズムの脅威が高まるなか、1934年にウィーンからジュネーヴへ、1940年にはニューヨークへ移りました。自由主義が世界的に退潮する時代にも、自らの立場を一歩も譲らなかった学者です。
目次
01

どんな人だったか

ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス(1881–1973)は、オーストリア=ハンガリー帝国に生まれ、ウィーンで育った経済学者です。ウィーン大学在学中の1903年にカール・メンガー『国民経済学原理』を読み、それまで強い影響を受けていた歴史学派から離れ、理論経済学へ向かいました。その後、ベーム=バヴェルクのゼミナールで学びます。

オーストリア学派の系譜でいえば、メンガー → ベーム=バヴェルク → ミーゼス → ハイエク/ロスバードという流れの、ちょうど中央に位置する人物です。

ウィーンでは有給の常勤教授職を得られず、商業会議所に勤めながら大学で教え、1920年からは自らの私的ゼミナール(Privatseminar)を主宰しました。そこにはハイエク、マハループ、ハーバラーなど、のちの重要な経済学者や社会科学者が集まりました。

1934年にはジュネーヴの国際問題高等研究所の教授となり、1940年に米国へ渡りました。1945年からはニューヨーク大学の客員教授として長く教え、1969年までゼミを続けています。

1938年にナチス・ドイツがオーストリアを併合すると、ウィーンに残されていたミーゼスの蔵書や書簡、研究・政策関係の文書はゲシュタポに押収されました。それらは第二次世界大戦の終わりにソ連軍が接収してモスクワへ運び、秘密文書館に収められたため、長く所在不明となっていました。1996年に旧KGBの文書館で所在が判明し、同年10月、リチャード・エベリングが現地で約1万ページに及ぶ全体を調査しました。

時代は、ミーゼスにとって完全な逆風でした。社会主義や計画経済への期待が高まり、ケインズ経済学の影響が広がるなかでも、ミーゼスは自由市場、私有財産、健全な貨幣という自らの立場を変えませんでした。その姿勢から、後年の評伝では「自由主義の最後の騎士」と呼ばれています。ヒュルスマンによれば、この呼び名はもともとヨーロッパの同僚たちがミーゼスに対して用いていたものです。

伝記的な事実を詳しく知るうえで重要なのが、ヨルグ・グイド・ヒュルスマンの2007年の大部の評伝 Mises: The Last Knight of Liberalism です。全1,143ページに及び、著者が約10年をかけて5か国の文書館を調査し、ミーゼス本人や同時代人の膨大な史料を用いて書かれています。

伝記的な事実については、ヒュルスマンの評伝『ミーゼス伝 ― 最後の騎士』(2007年、約1,100ページ)が決定版とされています。ナチスが押収し、1996年にモスクワの文書館で再発見された私文書を含む五か国の一次資料に基づいています。
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02

社会主義では、合理的な経済計算ができない

1920年、ミーゼスは「社会主義共同体における経済計算」という論文を発表します。主張の核心は明快です。

生産手段が私有されず、市場で交換されなければ、その市場価格は形成されない。市場価格がなければ、異なる生産方法を共通の貨幣単位で比較することができない。

たとえば、限られた鉄を鉄道に使うのか、建物や機械に使うのか。ある製品をつくるのに、鉄を使う方法と別の素材を使う方法のどちらが経済的なのか。こうした判断には、鉄、機械、原材料、労働など、さまざまな生産手段の別の使い道をあきらめる代償を比較する必要があります。

市場経済では、その比較を可能にする重要な役割を価格が担っています。しかし、生産手段を国家が一括して所有し、それらが市場で売買されなければ、生産手段についての市場価格は成立しません。

もちろん、計画当局が数字や価格表をつくること自体はできます。ミーゼスが問題にしたのは、その数字が、生産手段の実際の市場取引から生まれた価格ではないということです。

したがって、計画当局が善意に満ちていても、優秀な人材を集めても、どの生産方法が経済的なのかを合理的に比較するための市場価格を持つことができない。ミーゼスが問題にしたのは、計画者の怠惰や腐敗ではなく、制度の構造そのものです。

この論文をきっかけに、20世紀の経済学における重要な論争の一つ——社会主義経済計算論争——が始まりました。

これに対してオスカー・ランゲらは、社会主義でも中央計画当局が価格を設定し、試行錯誤によって需給が一致するよう調整すれば、市場に似た価格メカニズムを再現できると反論しました。

その後ハイエクは議論をさらに進め、問題は単に計算能力だけではなく、社会に分散している膨大な知識を中央の計画当局が集めることはできないという「知識の問題」でもあると論じました。

この論争は過去の話ではありません。「AIとビッグデータがあれば計算できるのではないか」という現代版の問いを、専用の解説ページで扱っています → AIで計画経済は可能か ― ハイエク vs ビッグデータ
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03

中心にある考え

人間行為学(プラクシオロジー)

ミーゼスは、経済理論そのものを、統計や個別の事例を集めて帰納的に導き出すという考えを退けました。出発点に置いたのは、「人間は目的をもって行為する」という命題です。そこから論理的・演繹的に経済理論を組み立てていきました。

主著『ヒューマン・アクション』は、この方法をもとに、貨幣・利子・景気循環・介入主義・社会主義などを、一つの体系のなかで論じたものです。

ただし、ミーゼスは、具体的な歴史や現実の政策を理解するうえで、経験的な事実や統計が不要だと考えていたわけではありません。統計や歴史的事実は、経済理論そのものを作るためではなく、現実に何が起きたのかを理解するために必要だと考えました。

この方法論は、とくにミーゼスの流れをくむオーストリア学派を特徴づける考え方であり、主流派経済学から強い批判を受けてきた点でもあります。ただし、オーストリア学派の内部にも方法論上の違いがあり、すべての論者がミーゼスと同じ強さのアプリオリズム(経験的な観察に先立って理論を論理的に構築する立場)を採っているわけではありません。

ミーゼスの景気循環論――信用膨張がブームを作る

銀行の信用膨張によって、金利が信用膨張がなければ市場で形成されていた水準より低く押し下げられると、それまで採算が合わなかった長期的な投資まで動き始めます。

しかし、人々が消費を減らして貯蓄を増やしたわけではないため、その投資計画を最後まで支えるだけの自発的な貯蓄や実物資源が、それに見合って増えたわけではありません。やがて、一部の投資は当初の計画どおりには続けられないことが明らかになり、事業の縮小や撤退、資源の再配置が必要になります。

これが、オーストリア学派の景気循環論の骨格です。ミーゼスがその基礎を築き、ハイエクが資本理論と結びつけて発展させました。

この理論では、不況は自由市場そのものの失敗ではなく、その前の信用膨張によるブームで生じた歪みを調整する過程として捉えます。

介入は次の介入を呼ぶ

ミーゼスは、市場経済と社会主義の「ちょうど中間」で安定する第三の道はない、と考えました。

政府が市場に介入すると、当初は意図しなかった別の問題が生じることがあります。そのとき、介入を撤回するのではなく、生じた問題を解決するためにさらに介入を加えれば、その介入がまた別の介入を必要とする——これがミーゼスの介入主義批判です。価格統制についても、統制が不足を生み、その不足に対処するためにさらに広い統制が必要になる過程を具体的に論じています。

したがってミーゼスは、介入によって生じた問題を、さらなる介入によって解決し続ければ、統制の範囲は次第に広がり、社会主義の方向へ進んでいくと警告しました。

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04

何から読むか

いきなり『ヒューマン・アクション』(1,000ページ級)に挑む必要はありません。講義録 → 短い論文・短著 → 主著という順番が、無理のない道筋です。

自由への決断
村田稔雄 訳。1959年にブエノスアイレスで行われた6回の講義をまとめたもの。資本主義・社会主義・干渉政策・インフレーションなどを一般の聴衆に向けて平易に語った、読みやすいミーゼス入門です。ミレイ大統領へとつながるアルゼンチンの自由主義思想の源流を知るうえでも興味深い一冊です。
社会主義共同体における経済計算(1920年論文)
社会主義経済計算論争の出発点となった論文。生産手段の市場価格がなければ、合理的な経済計算ができないというミーゼスの主張を、原文で直接読むことができます。英語版は無料で全文が公開されています。
官僚制
1944年。市場での損益計算を経営判断の基準にできない組織は、どのように運営されるのか。官僚制の性質を「そこで働く人の資質」だけではなく「仕組み」から説明する、比較的短い一冊です。
ヒューマン・アクション
原著1949年/村田稔雄 訳。ミーゼス経済学の集大成です。なお1949年の初版とその後の版では本文に異同があるため、原文を引用するときは版を明示してください。
ミーゼスの主要著作の多くは、英語であれば Mises Institute が全文を無料で公開しています。所在は 読書案内の「無料で読める」 にまとめました。
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05

自由主義研究所の見方

自由主義研究所は、ミーゼスを思想的な中核に置いています。とりわけ重視するのは、次の二点です。

第一に、問題の立て方です。1920年の経済計算論でミーゼスが中心に据えたのは、「不公平だ」「自由がない」といった価値判断とは別の問題でした。生産手段の市場価格を欠く制度では、合理的な経済計算ができない。つまり、その制度がそもそも経済の仕組みとして機能しうるのか、という問いです。私たちが政策を論じるときも、この水準まで掘り下げて考えたいと思っています。

第二に、貨幣と信用への警戒です。中央銀行が金利や金融環境に大きな影響を与え、貨幣・信用の膨張が物価上昇につながれば、人々が保有する貨幣の購買力は低下します。そこでは、明示的な増税を経なくても実質的な負担が生じます——私たちが「インフレ税」と呼ぶ問題です。ミーゼスの貨幣・信用論は、この問題を考える重要な理論的背景の一つです。

動かない仕組みを、動くと言い張らない。

私たちがミーゼスから学ぶのは、個々の政策への答えだけではありません。制度が掲げる理想ではなく、その制度が実際に機能するための条件がそろっているのかを問う姿勢そのものです。

もっとも、ミーゼスの方法論であるプラクシオロジーは、現在の経済学界で広く受け入れられている方法論ではありません。私たちはこれをオーストリア学派の立場として提示し、主流派経済学の合意事項としては扱いません。

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続けて読む

ミーゼスの弟子筋にあたるハイエク、直弟子のロスバードへ。あるいは、系譜の全体像に戻る。