Thinkers · 1926–1995

マレー・ロスバード

オーストリア学派経済学と自然権論を結びつけ、「国家そのものは正当化できるのか」という問いまで突き詰めた思想家です。同時に、生涯を通じてリバタリアン運動に関わった実践家でもありました。自由主義研究所がもっとも重視する思想家の一人です。

In Short

3つの要点

  • ミーゼスの私設ゼミに参加して直接学び、その経済学を発展させた。オーストリア学派経済学と自然権論を結びつけ、アナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)を体系化した代表的な思想家。
  • 中央銀行を「通貨の番人」としてではなく、政府の力によって銀行業をカルテル化し、信用膨張を可能にする制度として批判した。また、インフレは政府が直接の増税よりも見えにくい形で支出を賄う手段になると論じた。
  • 理論家であると同時に運動の組織者。晩年には、旧来の右派や保守派との連携を模索し、パレオリバタリアニズムや右派ポピュリズムの政治戦略を打ち出した。
目次
01

どんな人だったか

マレー・ロスバード(1926–1995)は、米国の経済学者・政治哲学者です。ニューヨーク大学で開かれていたミーゼスのセミナーに通いつめた直弟子であり、オーストリア学派経済学と、ジョン・ロックにさかのぼる自然権の政治哲学を、一つの体系に統合しました。

1982年にはミーゼス研究所の設立に学術面の中心人物として参画します。今日、ミーゼスやロスバード自身の著作が英語で無料公開されているのは、この研究所の活動によるところが大きく、日本を含む世界の読者がその恩恵を受けています。

著作の量と幅は際立っています。経済理論から政治哲学、そして歴史研究まで、扱った領域はきわめて広範です。

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02

中心にある考え

アナルコキャピタリズム

ロスバードは、まず自己所有権——自分の身体は自分のものである——という原則から出発します。そして、誰にも所有されていない資源に最初に労働を加え、利用することで所有権を得るという考え方から、私有財産権を組み立てます。

そこから導かれる政治原則として重視したのが、不侵略原則です。つまり、他人の身体や正当に所有する財産に対して、暴力やその脅迫を先に用いて侵害してはならない、という原則です。ロスバードは詐欺も、他人の財産権を侵害する行為として扱いました。

問題は、国家だけをこの原則の例外としてよいのかということです。国家は、同意していない人からも税を徴収し、一定の領域で警察・防衛・裁判の提供を強制的に独占します。ロスバードは、治安・防衛・司法を含め、国家が担っているとされる機能も、市場や自発的な組織によって供給しうると論じました。そこから、最小国家すら必要ないという無政府資本主義の結論に至ります。

個人には許されないことが、なぜ国家には許されるのか。

中央銀行は何をする組織か

ロスバードの貨幣論は明快です。政府が支出の負担を国民へ転嫁する方法として、税や借入だけでなく、貨幣の増発にも注目しました。貨幣の増発は、明示的に税を取り立てることなく政府がより多くの資源を使えるようにする一方、貨幣の購買力を低下させるため、その負担が見えにくい。ロスバードはこれを「隠れた課税」として捉えました。

そして中央銀行を、単なる「通貨の番人」ではなく、銀行システムを中央で支え、銀行全体による信用膨張を可能にするとともに、政府による貨幣増発を容易にする制度として批判しました。

The Case Against the Fed(1994年)では、連邦準備制度の成立過程を、公益のための中立的な制度改革としてではなく、銀行業界、とりわけ当時の大手金融勢力の利害と深く結びついた政治的な制度形成として描いています。ロスバードは特に、モルガン系金融勢力がFRB創設に大きな影響を与えたと論じました。

この歴史解釈には、現在の経済史・金融史の一般的な説明とは異なる部分があります。そのため、「ロスバードによるFRB成立史の解釈」として紹介します。

歴史をどう読むか

ロスバードは経済理論だけでなく、歴史研究にも大きな力を注ぎました。その歴史叙述では、政策の表向きの目的だけを見るのではなく、それを推し進めた政治家、官僚、銀行家、知識人などの利害関係や人的ネットワークにも目を向け、なぜその政策や制度が生まれたのかをたどろうとします。

経済理論、政治哲学と並んで、貨幣・銀行史、経済思想史、アメリカ史にも本格的に取り組んだことは、ロスバードを単なる「理論家」として見ると見落としやすい点です。

ロスバードの歴史解釈には、一般的な学説とは大きく異なるものもあります。代表例がアダム・スミスです。ロスバードはスミスを単純に「経済学の父」として高く評価するのではなく、スコラ学者やカンティロン、テュルゴーらに見られた主観的な価値論の流れを後退させ、労働価値説へ向かう道を開いた人物として厳しく批判しました。これはロスバード特有の、一般的な経済思想史とはかなり異なる評価です。

ロスバード自身の経済思想史は、古代からスミス、古典派、マルクスまでを、オーストリア学派の視点から読み直したものです。

ここで注意したい点があります。ロスバードには、通説から大きく外れた評価もあります。たとえば経済思想史では、アダム・スミスを経済学の創始者ではなく、主観価値の伝統を逸らせた人物として厳しく評価しました。これはロスバードの少数説であり、学界の合意ではありません。引用する際は、そのことを明示する必要があります。
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03

理論家であり、運動家だった

ロスバードが他の思想家と大きく違うのは、書斎にとどまらなかったことです。1970年代にはリバタリアン党の初期の活動に深く関わり、その後も一貫して、思想をどう現実の政治的な力に変えるかを考え続けました。ロスバードにとって、自由主義は理論を構築するだけでなく、それを広め、社会を変えるための運動でもありました。

ロスバードは1981年にケイトー研究所と袂を分かち、1989年にはリバタリアン党を離れます。そして1990年前後には、当時の主流のリバタリアン運動との距離を鮮明にしました。

理由は、政治戦略と文化の両方にありました。ロスバードは、当時のリバタリアン運動が一般の中間層や労働者層から文化的・政治的に離れていると批判し、反ニューディールと非介入主義を特徴とするオールドライトの伝統を再評価し、保守層との連携を模索しました。ロックウェルらと展開したこの路線が、パレオリバタリアニズムです。1992年には、右派ポピュリズムを新たな政治戦略として明確に打ち出しています。

急進的な反国家主義と、文化的な伝統の尊重。この二つを結びつけようとしたことが、ロスバードを現代リバタリアニズムのなかでも独特の位置に置いています。

この路線が具体的に何を掲げ、なぜ短期間で組織的な連携が後退したのかは、応用編の 保守と組むべきか ― パレオリバタリアニズムとは何だったのか で、1992年の綱領を一次資料から検討しています。

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04

何から読むか

ロスバードは日本語で読める点でも恵まれています。まずは薄い一冊から。

政府は私たちの通貨に何をしてきたのか?
蔵研也 訳(自由主義研究所 編、2026年)/157ページ。ロスバードの貨幣論を一般向けにまとめた、もっともよく知られた入門書の一つです。2026年、自由主義研究所から日本語版を刊行しました。成立の経緯も興味深いものです。1957年、FEE(経済教育財団)のレナード・リードがミーゼスに原稿への意見を求めると、ミーゼスはその内容を高く評価しました。しかしFEEは「急進的すぎる」として出版を見送り、最終的に1963年、別の出版社から刊行されました。
For a New Liberty
1973年。リバタリアニズムの宣言書。基本原理から、教育、福祉、道路、警察、裁判、環境など現実の争点へと進む構成で、ロスバードの政治思想の全体像をつかむのに向いています。英語版は無料で全文公開されています。
Anatomy of the State
1965年に発表された小論。国家とは何をする組織なのかを、短い文章で根本から問い直します。ロスバードの国家論だけをまず読みたい人に向いています。英語版は無料公開されています。なお、現在Mises Instituteで公開されている版は、1974年の論文集に収録された版をもとにしています。
America's Great Depression
1963年。1929年の大恐慌を、オーストリア学派の景気循環論から分析した歴史研究。1920年代の信用膨張を大恐慌の原因として論じるとともに、恐慌後のフーヴァー政権による政策介入が調整を妨げたと分析しています。ロスバードが経済理論を歴史にどう適用したかを見る一冊です。英語版は無料公開されています。
人間・経済・国家/自由の倫理学
経済理論の体系である『人間・経済・国家』(1962年)と、政治哲学の体系である『自由の倫理学』(1982年)。ロスバードに本格的に取り組むなら、この二冊です。『人間・経済・国家』は自由主義研究所が翻訳連載中で、今後の出版を予定しています。英語版は無料で全文公開されています。『自由の倫理学』は、森村進・森村たまき・鳥沢円 訳(勁草書房、2003年)。
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05

自由主義研究所の見方

自由主義研究所は、ロスバードをもっとも重視する思想家の一人と位置づけています。理由は三つあります。

第一に、問いの立て方です。「政府はどこまで介入してよいか」ではなく「そもそも政府にその権限があるのはなぜか」と問う。この順番を保つことが、議論が現状追認へ流れるのを防ぎます。

第二に、貨幣論です。私たちは日本の金融政策を批判する際、利上げそのものを悪者にはしません。批判の対象は、中央銀行が基準的な金利や金融条件に大きな影響を与え、貨幣・信用の膨張にも深く関わる仕組みそのものと、物価上昇を通じて生じる「インフレ税」と呼ばれる実質的な負担です。この問題を見る枠組みは、ロスバードの貨幣・銀行論に多くを負っています。

第三に、パレオリバタリアニズムです。当研究所は、現代のリバタリアン運動のなかでは比較的、伝統や文化を重視する立場をとり、保守層との連携も一つの政治戦略として位置づけています。この立ち位置の重要な思想的・戦略的な源流の一つが、ロスバード晩年のパレオリバタリアニズムです。

思想は、書かれただけでは何も動かさない。

ただし、ロスバードの結論をすべてそのまま採用しているわけではありません。国家をどこまで縮小しうるかについては、私たちは現実的な立場として、安全保障や治安維持などを中心とする限定的な政府を認めています。また、パレオリバタリアニズムをめぐる個別の発言や政治戦略への批判についても、隠さず扱います。

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続けて読む

ロスバードの師ミーゼス、同じ学派のなかでより穏健な立場をとったハイエクへ。あるいは、系譜の全体像に戻る。