ミレイとアルゼンチン
自らを「無政府資本主義者」と呼ぶ人物が、国の大統領を務めている。きわめて珍しいこの事例を、自由主義研究所は継続的に追っています。
自由主義の理論が、現実の政治制度の中でどこまで実行でき、どこで制約を受けるのか。ミレイ政権の改革は、それを考えるうえで重要な事例です。
※ 政策と議会情勢は動きます。本ページは時点を明記して記述しています。最終更新:2026年8月15日
自らを「無政府資本主義者」と呼ぶ人物が、国の大統領を務めている。きわめて珍しいこの事例を、自由主義研究所は継続的に追っています。
自由主義の理論が、現実の政治制度の中でどこまで実行でき、どこで制約を受けるのか。ミレイ政権の改革は、それを考えるうえで重要な事例です。
※ 政策と議会情勢は動きます。本ページは時点を明記して記述しています。最終更新:2026年8月15日
ハビエル・ミレイ(1970年生まれ)は、経済学者出身のアルゼンチン大統領です。2023年11月の決選投票で勝利し、同年12月に就任しました。現在も大統領を務めています。
選挙運動中にチェーンソーを掲げたパフォーマンスや、省庁名を一つずつ外しながら叫んだ「アフエラ!(出て行け!)」は、世界的に知られるようになりました。
しかし、この人物の本当に興味深い点は、そこではありません。ミレイは、はじめからリバタリアンだったわけではないのです。
自由主義研究所が2025年に日本語版を出版したフィリップ・バグス『ミレイ現象』には、ミレイ本人による10ページ余りの序文が収録されています。そこで彼は、自身の知的な遍歴を詳しく振り返っています。
政治家が、自らの過去の考えをどのように改めたのかを、ここまで具体的に語る例は多くありません。そして、ここで名前の挙がった思想家の多くは、自由主義研究所の思想家のページでも紹介しています。
ミレイが受け継いだ思想は、突然アルゼンチンに現れたものではありません。
1959年、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスはブエノスアイレスで6回の講義を行いました。資本主義、社会主義、政府介入、インフレーション、外国投資、経済政策と自由について、一般の聴衆に向けて語ったものです。
この講義録は、のちに Economic Policy: Thoughts for Today and Tomorrow として出版され、日本では村田稔雄訳『自由への決断』として読むことができます。
ミーゼスのアルゼンチン訪問を実現した中心人物の一人が、アルベルト・ベネーガス・リンチ(父、1909–1999)でした。そしてその息子、アルベルト・ベネーガス・リンチ(h)は、ミレイが「わが国の自由の理念における最大の偉人」と呼んで敬愛する人物です。
1959年のミーゼスから、ベネーガス・リンチ親子を経て、現在のミレイへ。アルゼンチンにおける自由主義思想の系譜は、確かにつながっています。
↑ 目次へ戻るまず、出発点を確認しておきます。
フレイザー研究所などによる『世界経済自由度報告2025』(2023年のデータに基づく版)で、アルゼンチンの経済的自由度は165法域中159位でした。
ケイトー研究所とフレイザー研究所の『人間自由度指数2025』でも、アルゼンチンは総合の人間自由度では81位ですが、内訳を見ると個人的自由は37位、経済的自由は159位です。この指数は「個人的自由」と「経済的自由」の二本立てで構成され、個人的自由には法の支配、安全、移動、信教、表現、結社などが含まれます。
個人的自由については比較的高い水準にある一方、経済的自由は世界でも最下位層にあった——これがミレイの引き継いだ国です。
そこからの主な動きは、次のとおりです。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 2023年12月 | 就任直後に省庁を大幅削減(9省に再編)。大規模な歳出削減に着手するとともに、DNU 70/2023(大統領令)による大規模な規制改革を打ち出し、並行してオムニバス法案を議会へ提出。後に修正版がLey Bases(基本法)として成立した。 |
| 2023年12月 | DNU 70/2023 により家賃規制法(Ley 27.551)を廃止。DNU 70/2023は2024年に上院で否決されたが、DNUを失効させるには上下両院の否決が必要であり、下院は否決していないため、原則として効力を維持している。 |
| 2024年 | 国の公共部門(SPN)が、2010年以来初めて通年の財政黒字(利払い後)に転換。2024年の金融収支はGDP比0.3%の黒字、基礎的財政収支は同1.8%の黒字となった。 |
| 2025年10月 | 中間選挙で与党「自由前進(La Libertad Avanza)」が40%を超える票を獲得して大勝し、上下両院で勢力を大きく拡大。ミレイは改革路線をさらに進めるための支持を得たと位置づけた。 |
| 2026年2月 | 労働近代化法(Ley 27.802)が成立。労働契約や雇用、労働時間、団体交渉など幅広い制度を改正し、労働市場の柔軟化を進めた。 |
| 2026年7月 | Moody'sがアルゼンチンの長期国債格付けをCaa1からB3へ引き上げ、見通しも「安定的」から「ポジティブ」へ変更(7月21日)。これにより、Moody's、S&P、Fitchの大手3社が同等の格付け水準にそろうのは10年以上ぶりと報じられた。ただし、依然として投機的等級にある。 |
| 2026年7月~8月 | ミレイ大統領が中央銀行(BCRA)組織法の改革案を公表(7月26日)。7月30日に国民向け演説で正式発表し、31日に下院へ提出。8月12日には下院の委員会で多数派意見を獲得し、政権側は本会議での可決を目指している。 |
| 2026年8月 | 「私有財産の不可侵」法案が上院を通過。8月6日に始まった本会議で7日未明に採決され、賛成37・反対33。ただし、外国人による農村土地取得の規制撤廃と、火災管理法の改正に関する2章は削除された。法案は下院へ送られた。 |
就任前のミレイは、「中央銀行の廃止」と「ドル化」を掲げていました。就任後、少なくともこれまでの制度改革では、中央銀行そのものを直ちに廃止する路線は採っていません。ただし、財政赤字を通貨発行で賄う経路を断ち、政治による通貨への介入を抑えるという問題意識は維持されています。
2026年7月に公表され、31日に下院へ提出された中央銀行組織法の改革案には、次のような柱が盛り込まれています。中央銀行の第一の使命を「通貨価値の維持」に一本化すること。国庫・州・市への融資や国債の発行市場での購入など、公共部門への財政ファイナンスを全面的に禁止すること。そして、総裁・理事の罷免には、上下両院それぞれで出席議員の3分の2の承認を必要とすることです。
当面の制度改革では、中央銀行の廃止よりも、財政ファイナンスの禁止と、政治からの独立性の強化が優先されています。
この改革案をミレイが最初に示した7月26日の新聞コラム。その表題は、数字ひとつだけでした——12,819,532,788,614,400,000%。ミレイが、中央銀行が創設された1935年以降の累積インフレ率として示した数字です。7月30日の国民向け演説でも、同じ数字を改めて示しました。
ミレイは、この中央銀行の歴史を「略奪・収奪・不処罰・衰退の91年」と表現しています。そして今回の改革を、その歴史を終わらせるための制度改革だと位置づけています。
すべてが計画どおりに進んでいるわけではありません。
私有財産の不可侵を定める法案(Ley de Inviolabilidad de la Propiedad Privada)は、4度にわたる先送りを経て、2026年8月6日からの本会議で審議され、7日未明に上院を通過しました(賛成37・反対33)。複数の議会報道でも、採決までに4度先送りされたことが確認されています。
ただし、政府案に含まれていた「外国人による土地取得の規制撤廃」と「火災管理法の改正」の2章は、審議の中で削除されました。法案の中心として残ったのは、収用制度の厳格化や立ち退き手続きの迅速化などです。法案は修正のうえ下院へ送られました。
これは、自由主義的な改革を掲げる大統領であっても、議会制民主主義、二院制、連邦制、既存の法制度という制約の中で政策を実行しなければならないことを示す一例です。2025年の中間選挙で大勝したあとも、与党は上院で単独過半数を持っておらず、他党との協力なしには法案を成立させられません。
賃貸法の撤廃後の市場も、一本調子ではありません。ブエノスアイレス市(CABA)では、2024年に賃貸物件の供給が大きく増加し、新規募集家賃はインフレ率を大幅に下回って、実質的に低下しました。しかし、その後は供給の伸びが鈍化し、2025年には新規募集家賃の上昇率がインフレ率を上回る時期も現れました。
2026年に入ると、第1四半期には新規募集家賃が比較的大きく上昇しましたが、1〜7月の累計では家賃上昇率は17.5%と、インフレ率19.2%を再び下回っています。また、2026年7月時点の賃貸物件の掲載数は、規制撤廃前の底だった2023年2月の3.4倍の水準にあります(Zonaprop、2026年7月)。
※ インフレ率・財政収支・貧困率などの経済指標は随時更新されます。本ページでは、改革の経過を理解するために必要な時点の数値は掲載しますが、最新値を継続的に追うことはしていません。最新の公的統計は、INDEC・BCRA・経済省などの一次情報をご確認ください。
↑ 目次へ戻る理由は三つあります。
第一に、財政調整と経済成長の関係を、現実の政策過程から観察できる事例だからです。
大幅な歳出削減は、短期的には政府支出に依存していた所得や需要を押し下げます。一方で、財政の不均衡やインフレを抑え、政府が占めていた資源を民間部門へ戻し、経済活動の余地を広げる可能性もあります。
ミレイ政権は、財政均衡を先行させる改革が中長期的に何をもたらすのかを追うことができる、きわめて重要な事例です。私たちは、これが「歳出削減をすれば経済は悪化する」という単純な見方を検証する材料になると考えています。うまくいくにせよ、いかないにせよ、その経過を正確に記録する価値があります。
第二に、思想が政治の言葉になっているからです。
大統領自身が一般紙のコラムや国民向け演説で、通貨発行と財政赤字の関係を説明する。ミーゼスやロスバードなどの思想を公然と語る。リバタリアンの理論が専門家の議論の外に出て、現実の政治の言葉として語られている注目すべき事例です。
第三に、自由主義への入口になるからです。
「リバタリアニズム」という言葉には関心のない人でも、「あのチェーンソーの大統領」には関心を持つかもしれません。そこから、なぜ政府を小さくするのか、なぜ規制をなくすのか、なぜ財政赤字や通貨発行を問題にするのか——具体的な政治を入口として、自由主義の思想へ橋を架けることができます。
私たちは、ミレイをそのように位置づけています。
理論は、現実の制度改革の中でどこまで実行できるのか。どこで制約を受け、どこで修正を迫られるのか。
自由主義研究所は、この主題について日本語の書籍を出版し、その動向を週次で追っています。日本でミレイ政権とその思想・政策を継続的に追っている団体の一つであると自負しています。
↑ 目次へ戻るインフレ率や貧困率など、動きの速い経済指標の最新値を、このページに一覧で掲載することはしていません。すぐに古くなってしまうからです。ただし、改革を評価するうえで押さえておきたい事実はいくつかあります。
一つは、2024年に単年の財政黒字を達成したこと。もう一つは、2026年7月にMoody'sがアルゼンチンの国債格付けをCaa1からB3へ引き上げ、見通しも「安定的」から「ポジティブ」へ変更したことです。格付け機関による評価は、政権自身の自己評価とは別の判断材料になります。
ただし、国債の格付けは主として債務の返済能力や信用リスクを評価するものであって、国民生活や改革全体の成否を測る指標ではありません。
また、財政収支や格付けが改善しても、それがそのまま家計の実感と一致するとはかぎりません。マクロ経済の改善と、人々の生活に何が起きているのか。その両方を見る必要があります。
しません。歳出削減は、実際に人々の生活や公共サービスに影響を与えます。
たとえば、アルゼンチンを代表する公立小児病院ガラハンでは、2025年に給与や待遇の改善を求めて研修医や職員による抗議・ストライキが相次ぎました。賃金の実質的な低下や専門職の流出も問題となりました。
一方、2026年に入ると、病院では310床の更新、手術室設備の刷新など、大規模な設備投資も実際に進められています。
この二つは別の問題です。設備投資が行われているからといって、給与や人員をめぐる批判が無効になるわけではありません。逆に、給与をめぐる問題があったからといって、その後の設備投資まで無視すべきでもありません。
都合のよい数字だけを並べることと、改革を支持することは別です。
この問いは、リバタリアンの内部でもしばしば論争になります。就任前に掲げた中央銀行の廃止が直ちには実行されず、中央銀行の制度改革が先行していること。為替や資本の規制も、一気に全面撤廃するのではなく段階的に緩和されてきたこと。さらに外交上の選択なども、議論の対象になっています。為替規制については、2025年4月に大部分が撤廃されました(個人による外貨購入の制限を含む)。
自由主義研究所の立場は明確です。私たちはミレイ政権の改革を支持します。その理由は、彼が理念の純度で満点だからではありません。国家の規模と介入を実際に縮小する方向へ、現実の政治のなかで改革を前進させているからです。
ただし、支持するからこそ、思想についても正確に見ます。
たとえばミレイは、「インフレは常に、いかなる時も貨幣的現象である」という定式を繰り返し使っています。ミレイ自身も認めているように、これはミルトン・フリードマンのよく知られた表現です。
もちろん、貨幣や信用の膨張をインフレの中心的な問題として捉える考え方は、ミーゼスやロスバードにもあります。しかし、ミレイの経済思想はオーストリア学派だけで構成されているわけではありません。支持することと、思想の系譜を曖昧にすることは別のことです(→ 立場は違うが、避けて通れない人)。
この論争そのもの——批判する側と擁護する側がそれぞれ何を根拠にしているのか。そして、そもそも「本物のリバタリアンか」という問いの立て方にどのような難点があるのか——は、応用編の ミレイは「本物のリバタリアン」か ― 公約と実際のあいだ で詳しく扱っています。
あります。ミレイが正面から問うているのは、政治が中央銀行を通じ、通貨発行で財政赤字を賄える仕組みを、どう断つかという問題です。
もちろん、日本とアルゼンチンの制度は大きく異なります。日本では、日銀による国債の直接引受けは原則として法律で禁止されています。一方で、日銀は金融政策の一環として市場から国債を大量に買い入れてきました。
したがって、アルゼンチンの経験をそのまま日本に当てはめることはできません。それでも、政府の財政運営と中央銀行による国債買入れをどこまで切り離すべきか、財政政策と金融政策の境界をどこに置くべきかという問いは、日本にも関係する重要な論点です。
また、ミレイ政権はDNU 70/2023による大規模な規制撤廃と、議会を通じた法改正の両方を使って行政・経済改革を進めてきました。2026年6月までに、規制撤廃・簡素化に関する措置は累計689件に達したとアルゼンチン政府は公表しています。省庁の統廃合、歳出削減、規制撤廃を現実の政治制度の中でどこまで実行できるのかという点でも、日本の行政改革を考えるうえで興味深い参照例です。
↑ 目次へ戻るミレイについて日本語で読める本は、まだ多くありません。以下では、自由主義研究所が翻訳・編集した2冊と、その思想的背景をたどれる1冊を紹介します。