この論争では、しばしば歴史上の事例が持ち出されます。中央銀行を持たず、民間銀行が競争的に銀行券を発行する制度は、実際に安定して機能したことがあるのか。
スコットランド(1716年〜1845年)
自由銀行派が代表的な事例として挙げるのが、18世紀から19世紀前半のスコットランドです。
Bank of Scotlandが持っていた銀行券発行の独占は1716年に失効し、その後、複数の銀行が参入して独自の銀行券を発行しました。スコットランドにはイングランド銀行に相当する独自の中央銀行はなく、1845年に銀行券発行への新規参入が閉ざされるまで、比較的自由な銀行制度が続いたとされています。
この制度には、いくつか特徴がありました。多くの銀行では株主が無限責任を負い、銀行は広い支店網を発達させ、さらに銀行券を銀行間で交換・清算する仕組みが形成されました。こうした清算制度では、ある銀行が需要以上に銀行券を発行すれば、その銀行券が他行を経由して戻ってきて準備の支払いを求められるため、過剰発行を抑える市場規律が働くと自由銀行派は考えます。
ローレンス・H・ホワイトは1984年の Free Banking in Britain: Theory, Experience, and Debate, 1800–1845 で、このスコットランドの経験を、自由銀行が現実に機能しうる重要な歴史的事例として取り上げました。
ただし、この評価には強い反論があります。
ロスバードらは、スコットランドの銀行は本当にイングランド銀行から独立していたのかと疑問を呈しました。スコットランドの銀行はロンドンに流動性資産や決済手段を持ち、危機時にはロンドンの金融市場やイングランド銀行から間接的・直接的な支援を受けることがありました。
とりわけ1797年は重要です。フランスとの戦争と金融不安のなかでイングランド銀行が金兌換を停止すると、スコットランドの銀行も正貨兌換を停止しました。この停止はスコットランドに直接課されたイングランドの法令によるものではありませんでしたが、実際にはスコットランドの銀行もイングランド銀行に追随しました。
そのため100%準備派などからは、「スコットランドは中央銀行から完全に独立した純粋な自由銀行制度だったのか」という批判が出ています。
一方、自由銀行派は、こうしたロンドンとの関係があったとしても、スコットランド国内では銀行への参入、銀行券発行、支店展開、銀行間清算などに強い競争が存在しており、中央銀行によって日常的に管理された現代型の銀行制度とは大きく異なっていたと反論します。
したがって、スコットランドの経験は、自由銀行が成功したことの決定的な証明でも、失敗したことの決定的な反証でもありません。何を「自由銀行」と定義し、イングランド銀行との関係をどこまで制度の一部とみなすかによって、その評価は変わります。
カナダ(19世紀後半〜1935年)
より印象的な比較が、カナダとアメリカです。
カナダには1935年まで中央銀行がなく、比較的少数の銀行が全国に広い支店網を持つ銀行制度が発達していました。カナダ銀行自身も、中央銀行設立以前には、少数の銀行が各地に支店を設け、銀行券の発行や小切手の清算を担っていたと説明しています。
そして、1930年代の大恐慌のあいだ、カナダでは銀行の破綻が一件も起きませんでした。
これに対してアメリカでは、連邦準備制度の統計によれば、1930年から1933年の4年間に9,096件の銀行営業停止(bank suspensions)が記録されています。1930年1,350行、1931年2,293行、1932年1,453行、1933年4,000行です。
この規模はきわめて大きなものでした。ただし、ここでいう「営業停止」は必ずしもすべてが最終的な破綻を意味するわけではありません。とりわけ1933年には全国的な銀行休日があり、再開許可を得られなかった銀行なども統計上の「suspension」に含まれています。したがって、9,096行がすべて永久に破綻した、と読むのは正確ではありません。
この時期のアメリカで何が起きていたのかは 大恐慌は市場の失敗だったのか で詳しく扱っています。
カナダの実体経済そのものが軽傷だったわけではありません。大恐慌による生産の落ち込みはカナダでも非常に深刻で、米国と共通する大きな経済ショックを受けていました。それでも、銀行システムは米国のような大規模な破綻連鎖を経験しませんでした。
ただし、この対比を「カナダには中央銀行がなかったから」とだけ説明することはできません。
銀行史の研究でとくに重視されているのが、全国規模の支店銀行制度による地域分散です。カナダの大銀行は複数の地域に支店を持っていたため、特定地域の農業不況や貸倒れの影響を他地域の事業によって分散できました。ボルド、レディッシュらの研究も、カナダの全国的な支店網と銀行統合による地域分散を、その高い安定性を説明する重要な要因としています。
一方、当時のアメリカでは、連邦法と州法によって支店銀行が大きく制約されていました。多くの銀行は一つの地域・一つの店舗に依存する「unit banking」であり、その地域の農業や産業が打撃を受けると、リスクを地理的に分散することが難しかったのです。1927年のマクファデン法も、国法銀行の支店展開を基本的に各州が州法銀行に認める範囲に制限していました。
したがってカナダの経験が示唆するのは、単に「中央銀行がなくても銀行は安定する」ということだけではありません。支店規制、銀行の地理的分散、銀行の規模や競争構造など、制度設計そのものが金融システムの安定性を大きく左右するということです。
アメリカの「自由銀行時代」(1837年〜1863年)
アメリカにも「自由銀行時代(Free Banking Era)」と呼ばれる時期があり、しばしば「民間銀行が自由に銀行券を発行した結果、乱発と破綻を招いた失敗例」として引かれます。
しかし、ここでいう「自由銀行」は、現在の自由銀行派が理論上想定する、規制のない銀行制度と同じものではありません。
1830年代以降、いくつかの州で制定された自由銀行法は、それまで銀行設立のたびに議会から個別の特許を得る仕組みを改め、一定の条件を満たせば比較的自由に銀行へ参入できるようにしました。この意味での「自由」は、主として銀行設立への自由参入を指していました。
一方で、銀行券の発行には強い規制がありました。自由銀行法を採用した州では、銀行券を発行するために、州債や連邦債など指定された債券を州当局へ担保として差し入れることが求められました。発行できる銀行券の量も、その担保に結びつけられていました。
そのため、銀行券の安全性は銀行自身の貸出判断や資産内容だけでなく、担保として保有を義務づけられた政府債券の価格にも左右されました。
実際、自由銀行時代の銀行破綻については研究上の議論がありますが、アーサー・ロルニックとウォーレン・ウェバーは、銀行破綻が多発した時期と担保債券価格が下落した時期が強く重なっていたことを示し、単純な「詐欺的な野良銀行(wildcat banking)が破綻の中心だった」という従来像に疑問を投げかけました。
したがって、「自由に銀行券を発行させたから失敗した」と、この時代をそのまま自由銀行論への反証にすることはできません。自由参入の要素はありましたが、銀行券発行は政府債券を担保とする制度に強く拘束されていたからです。
ただし逆に、これを「本当の自由銀行ではなかったのだから、失敗はすべて規制のせいだった」と断定することにも注意が必要です。銀行破綻や銀行券の割引、金融恐慌が実際に起きたことも事実であり、どこまでを制度規制の結果と評価するかについては研究上の議論が続いています。
歴史から、どこまで言えるのか
ここで、歴史の使い方について一つ歯止めを置いておきます。
スコットランド、19世紀アメリカ、カナダといった代表的な事例の多くは、金や銀などの商品貨幣を基礎とする制度のなかで発達しました。銀行券は最終的に正貨へ交換できることを原則とし、銀行間決済にも商品貨幣が重要な役割を果たしていました。
ただし、「これらの制度では常に金や銀との兌換が維持されていた」という意味ではありません。たとえばスコットランドを含むイギリスでは1797年から1821年まで正貨兌換が停止されました。またカナダは1931年に金との正式なリンクを離れ、その後1935年にカナダ銀行が営業を開始しています。
歴史が比較的強く示しているのは、中央銀行によって日常的に管理されなくても、競争する民間銀行が銀行券や預金を供給する制度は長期間存在しうるということです。一方、現在のような純粋な不換紙幣を基礎とし、中央銀行の準備通貨にも依存せず、複数の銀行が競争的に貨幣を供給する制度については、直接比較できる長期的な歴史経験ははるかに乏しいといえます。歴史は自由銀行が「現代でも必ず機能する」と証明しているわけではありません。しかし同時に、「中央銀行がなければ銀行制度はそもそも成立しない」という主張にも、歴史上の事例は疑問を投げかけています。
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