論点 · 応用編Ⅰ

自由主義者の間でも意見が分かれる10の論点

自由主義は、すべての答えが最初から決まっている教義ではありません。同じように個人の自由を重視する人々の間でも、議論が続いている論点があります。10の論点それぞれについて、何が争われ、どんな立場があり、どこで詳しく読めるかを一望できるようにまとめました。応用編Ⅰの入口となるページです。

In Short

3つの要点

  • 古典的自由主義者やリバタリアンの間では、政策の大きな方向については比較的広い一致があります。政府の規模や裁量を縮小すること、規制を減らすこと、言論の自由や法の支配を守ることなどです。しかし、意見が分かれる論点は周縁的なものばかりではありません。国家の正当性や貨幣制度など、思想の土台に関わるものも含まれます。
  • 対立には4つの型があります。根拠の型/事実の型/優先順位の型/移行の型。議論が噛み合わないときは、しばしば違う種類の問いを同時に議論しています。
  • 「ここは決着していない」と言えることが、思想としての強さです。すべてに答えがあるふりをするより、どこから先が論争なのかを明示するほうが誠実です。
目次
01

自由主義は教義ではない

自由主義は、すべての答えが最初から決まっている教義ではありません。

個人の自由、私有財産、契約の自由、政府権力の制限——これらを重視する点には、広い一致があります。しかし、それらを何によって正当化するのか——権利なのか、結果なのか、契約なのか——については立場が分かれ、具体的な問題に当てはめれば結論も分かれます。

このページは、そうした分かれ方の総覧です。10の論点それぞれについて、何が争われているのか、主な立場は何か、そしてどこで詳しく読めるかを示します。

このページが扱う範囲

一点、断っておきます。「リバタリアニズム」という語には、歴史的には左派アナキズムなど、別の系譜もあります。このページで整理するのは、当サイトが主に扱う古典的自由主義と、現代の市場志向のリバタリアニズムにおける内部論争です。

なぜ「分かれている」ことを示すのか

意見が一致している部分だけを紹介するほうが、思想としては強く見えるかもしれません。それでも、意見の分かれるところまで示すのには理由があります。

  • 実際に分かれているから。一つの立場だけを「自由主義の答え」として紹介すれば、それは事実に反します。
  • 批判に答えられなくなるから。「リバタリアンは○○と考えている」という批判のなかには、内部の一つの立場を、リバタリアン全体の考えとして扱っているものがあります。内部の分岐を知らなければ、その誤りを指摘できません。
  • 自分の立場が明確になるから。それぞれの論点で自分がどちらの立場をとるのかを意識すると、自分の考えの前提や一貫性も見えやすくなります。

先に、一致している部分を確認する

分岐を並べる前に、これだけは押さえておきます。

減税、規制の撤廃、財政規律、言論と信教の自由、法の支配、自由な交易、権力の分散——こうした大きな方向について、自由主義者どうしが争うことは比較的少ないです。どこまで進めるか、どのような手段を使うかでは意見が分かれても、方向についての一致はかなり広い範囲に及びます。

ただし、そのうえで正確に述べておきます。

共有されている方向は広い。しかし、分かれている論点は周縁的なものばかりではありません。

以下に挙げる10の論点のうち、国家の正当性、徴税、財産の原初取得、貨幣制度といった問題は、むしろ思想の土台に関わるものです。「細かい部分でだけ意見が違う」と描くのは、事実に反します。

正確な像はこうです。個人の自由や私有財産といった基本的な価値には広い重なりがある。一方で、その根拠や適用、制度のあり方をめぐって重要な分岐があり、それでも現実の政策の大きな方向についてはかなり広く一致している。この両面を同時に見る必要があります。

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02

対立には四つの型がある

10の論点を一つずつ見る前に、対立の型を整理しておきます。これを知っていると、以降の見通しがまったく変わります。

意見が分かれるとき、分かれ方には四つの種類があります。

根拠の型 ― なぜ自由を守るのかが違う

自由を擁護する理由が、権利から来るのか、結果から来るのか。この違いは、とくに例外的な場面で結論を分けます。

たとえば、「税は原理的に不正だ」という主張は権利にもとづく議論です。一方、「この税率は経済成長を損なう」という主張は、結果にもとづく議論です。

前者では、そもそもその権利をどこまで認めるべきかが争われます。後者では、データだけでなく、何が何を引き起こしたのか、何と比較するのか、どの理論で事実を説明するのかまで含めて争われます。

詳しくは 自然権論と帰結主義 をご覧ください。

事実の型 ― 世界の見立てが違う

原理は共有していても、現実の世界がどうなっているかについての判断が違えば、結論は変わります。

知的財産制度は実際に技術革新を促進しているのか。民間だけで国防を供給できるのか。移民が財政に与える影響はどれくらいか。これらには、結論を左右する重要な実証的な問いが含まれています。もちろん、価値判断がまったく入らないという意味ではありません。

この型の対立は、原理だけでは決着しません。現実についての主張は、現実によって検証する必要があります。

優先順位の型 ― どちらを上に置くかが違う

複数の原理が緊張関係に入る場面があります。どちらをより重く見るかによって、結論が分かれることがあります。

部分準備銀行をめぐる論争は、その一例です。契約の自由を重視する立場からは、契約内容を当事者が理解し合意しているなら、第三者がそれを禁止する理由はないと考えます。一方、財産権の保護を重視し、要求払い預金を「いつでも全額返還されるべき貨幣の保管」と捉える立場からは、その貨幣を銀行が同時に貸し出す仕組みそのものに問題があると考えます。

ただし、この論争には、要求払い預金をそもそもどのような契約とみなすべきかという別の争点も含まれています。

詳しくは 部分準備銀行を認めるか をご覧ください。

移行の型 ― そこへどう到達するかが違う

望ましい終着点については一致していても、そこへどう到達するかで対立することがあります。

不正な制度は即座に廃止すべきなのか。それとも、改革そのものを失敗させないために順序を踏むべきなのか。逆に、順序を認めれば、あらゆる先送りを正当化できてしまうのではないか。

詳しくは ミレイは「本物のリバタリアン」か をご覧ください。

議論が噛み合わないとき、多くの場合、相手と自分が違う型の対立をしていることに気づいていません。事実の問題に原理で答え、原理の問題にデータで答える——これが起きると、どれだけ言葉を重ねても前に進みません。

型を見分ける ― 実例で

少し抽象的なので、よくある批判を一つ取り上げて診断してみます。

「政府を小さくしたら、弱い立場の人はどうなるのか。」

この批判は、どの型でしょうか。実は、問い方によって、四つの型のうち三つに分かれます。

  • 根拠の型だとすれば——「困っている人を助けることは、社会の義務ではないのか」。これは価値についての問いです。答えるには、人を助ける義務があるとして、それが政府による強制を正当化するのかを、権利や結果の観点から考える必要があります。
  • 事実の型だとすれば——「政府がやめたら、実際に誰が担うのか」。これは現実についての問いです。答えるには、民間の互助組織や共済がどう機能してきたか、公的制度の導入によってそれらがどう変化したか、といった事実を検討する必要があります。
  • 移行の型だとすれば——「いま急に削ったら、現在の制度に依存している人が困るではないか」。これは移行の設計についての問いです。答えるには、どのような順序で、どのくらいの期間をかけて移行するのかを示す必要があります。

三つとも正当な問いですが、必要な答えはまったく違います。相手がどれを問うているのかを確かめずに答え始めると、たいてい噛み合いません。

逆に、こちらから問い返すこともできます。

「それは、原理としてそうすべきではないという話ですか。それとも、実際にはうまくいかないという話ですか。」

この一言で、議論の土俵がかなり明確になります。

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03

国家はどこまで必要か ― 論点①②⑧

ここから10の論点を、四つのまとまりに分けて見ていきます。まずは国家の範囲についての三つです。

論点① 政府は必要か

国家の必要性をめぐる、根本的な分岐です。政府の役割を警察・司法・国防に絞る最小国家論と、それらも市場で供給できるとする無政府資本主義

注意すべきは、これが「秩序か無秩序か」の対立ではないことです。争点は二つあります。強制と徴税の独占を国家が道徳的に持ちうるのか(正当性)と、警察・司法・国防を競争的な仕組みで安定供給できるのか(実行可能性)です。

対立の型は①根拠②事実にまたがります。権利論からも帰結主義からも、どちらの結論にも到達できます。

最小国家か、無政府資本主義か

論点② 税はどこまで正当化されるのか

ロスバードは徴税を同意によらない財産の移転として捉え、国家による徴税そのものの正当性を否定しました。

ノージックは、権利を守るための最小国家までは正当化しうると考えましたが、だからといって通常の課税を広く認めたわけではありません。とくに再分配を目的とする課税にはきわめて否定的でした。

一方、帰結主義の立場では、税そのものを原理的に不正とするのではなく、どの税を、どの程度課すことが、自由や繁栄にどのような結果をもたらすかによって評価します。

高い限界税率、複雑な税制、政治的な利権配分の弊害を批判する点では、これらの立場には大きな重なりがあります。しかし、そもそも徴税それ自体に原理的な不正を見るのか、どこまでの課税なら許容しうるのか、どの税が相対的に害が小さいのかについては、重要な違いがあります。

自然権論と帰結主義(第4節)/減税を、リバタリアンの視点で考える

論点⑧ 軍事介入と同盟

不侵略原則は「先に侵害してはならない」と述べます。自衛は否定しません。問題は、どこまでを自衛と呼べるのかです。

  • 先制はどこまで許されるか。差し迫った脅威に対する先制攻撃は自衛か、それとも攻撃か。
  • 同盟はどう扱うか。同盟国への攻撃を、自国への攻撃と同じように扱えるのか。
  • 戦費をどう調達するか。徴税、国債、貨幣発行による戦費調達は、それぞれ異なる形で国民へ負担を移します。
  • 脅威の評価を誰が行うか。軍事介入の判断に使われる重要な情報の一部は政府や情報機関が握っており、国民が独立に検証することには限界があります。

ロスバードは徹底した非介入主義を採りました。国家間の戦争は、自国民への徴税を増やし、敵国の無関係な民間人まで巻き込みやすいとして、国家による外国への軍事介入や援助を強く批判しました。ミーゼスにも、平和・反帝国主義・非介入を重視する強い伝統があります。

この立場がとくに警戒するのは、戦争が国家を急速に膨張させることです。徴税、徴用、経済統制、言論の制限など、平時には認められにくい権力の拡大が、戦争によって正当化されやすくなると考えます。ロスバードもこの文脈で、ランドルフ・ボーンが1918年に残した有名な言葉——「戦争は国家の健康法である」——を引用しています。

一方で、防衛は最小国家でも認められる中心的な機能です。そのため、同盟によって侵略を抑止するほうが、単独で防衛するより自由と安全を守れるという議論も成り立ちます。

ただし、広く重なる部分もあります。徴兵や戦時の言論統制への反対、軍事組織や軍需産業が政治権力を拡大することへの警戒は、自由主義のなかで広く見られる問題意識です。

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04

所有はどこまで及ぶか ― 論点③④⑦

次は、所有権がどこまで及ぶのかをめぐる三つです。

論点③ 土地と天然資源

ロックの系譜に立つ所有権論は、自己所有と労働を原初取得の出発点とします。自分の身体は自分のものであり、自分の労働を、まだ誰のものでもない自然物に加えることで、そこに所有権が成立するという考え方です。

しかし、ここで核心的な問題が生じます。もともと誰のものでもなかった土地や天然資源を、なぜ最初に利用した人が排他的に所有してよいのでしょうか。

ジョン・ロックは『統治二論』で、原初取得が認められる条件として、「他人に十分な、同じだけよいものが残されている限り」という条件を置きました。いわゆるロックの但し書きです。

ここから、代表的には三つの立場が分かれます。

  • 但し書きは不要——ロスバードは、まだ誰のものでもない土地や天然資源を最初に利用し、占有することで所有権が成立すると考えます。原則は「最初に利用した者が、最初の所有者になる」というホームステッド原理です。ロックの「他人に十分残す」という条件は採りません。
  • 但し書きを残す——ノージックはロックの条件を修正し、原初取得によって他人の状況を以前より悪化させてはならないという形で但し書きを残しました。たとえば砂漠で唯一の水源を私有した者が、好きなだけ高い価格を要求できるわけではない、と論じます。
  • 土地は別扱い——ヘンリー・ジョージにさかのぼる系譜やジオリバタリアンは、人が生産した財産と土地そのものを区別します。土地そのものは誰かの労働によって作られたものではないため、土地から生じる地代・土地価値を社会に還元することは、労働や資本への課税とは性質が違うと考えます。

この論点は抽象的に見えますが、土地価値税の正当性、天然資源の帰属、周波数帯や軌道利用枠のような希少な資源を誰に割り当てるのかといった現実の問題につながっています。

土地は誰のものか(ロック、ロスバード、ノージック、左派リバタリアニズム)

論点④ 知的財産

特許や著作権は、正当な財産権なのか。それとも、国家が与える独占権なのか。

この問題は、権利論の内部でも意見が分かれます。アイデアは物と違い、他人が使っても元の持ち主から失われない。したがって、土地や物と同じ意味での所有権は成立しない、という議論があります。

ロスバードは、特許と著作権を区別しました。特許については、独立に同じ発明へ到達した人にまで排他的な権利を及ぼす国家による独占特権として否定しました。一方、著作権については、著作者と購入者との契約によって複製を制限できる範囲で認めました。

帰結主義の立場では、実証的な問いの比重が大きくなります。知的財産権の保護がなければ研究開発や創作は減るのか。逆に、保護が強すぎれば後続の発明や改良を妨げるのか。こうした立場では、「知的財産権は原理的に正当か」だけでなく、どの範囲を、どのくらいの期間保護することが望ましい結果を生むのかという形で問いが立ちます。

アイデアは所有できるのか(知的財産権をめぐるリバタリアン内部論争)

論点⑦ 環境と公害

工場の煙が隣家に流れ込む。これは財産権の侵害として、差止めと賠償で扱えるのか。

財産権を基礎に考える立場では、公害を他人の身体や財産への不法な侵害として捉え、差止めや賠償によって処理しようとします。加害者と被害者を特定でき、誰の行為がどの被害を生んだのかを立証できる場合には、この枠組みは比較的分かりやすく機能します。

しかし、大気や海洋のように所有権を確定しにくい対象、多数の発生源と多数の被害者がいる場合、あるいは被害が長い時間をかけて現れる場合には、財産権と個別の賠償だけで十分に処理できるのかが論点になります。

帰結主義の立場では、規制、賠償、課税、排出権取引などの制度を、どの方法が被害を減らしながら最も小さな社会的費用で済むのかという結果から比較します。

空気は誰のものか(公害、財産権、ピグー税、環境規制)

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05

人をどう扱うか ― 論点⑤⑥⑩

三つ目のまとまりは、人をどう扱うかについての論点です。

論点⑤ 移民

リバタリアン内部で、現在とくに対立の大きい論点です。

権利論の一方は、移動そのものは他人の権利を侵害しないと考えます。受け入れる雇い主、家を貸す大家、取引する商店がいるなら、それは当事者どうしの自発的な合意です。第三者である国家が、それを力で止める権利はどこから生じるのか、と問います。

しかし、私有財産権を出発点にしながら、逆の結論を導く議論もあります。ホッペは、完全な私有財産社会では、他人の土地や施設へ入るには所有者の同意や招待が必要になると考えます。そして、国家が所有・管理する道路や公共空間を、誰でも自由に利用できる「無主物」のように扱うべきではなく、私有財産にもとづく秩序をできるだけ模して、移民を制限すべきだと論じました。

帰結主義の立場では、財政負担、賃金への影響、治安、経済成長、受け入れ社会の制度への長期的な影響などを比較します。ここでは同じ帰結主義の立場でも、データだけでなく、因果関係の捉え方や前提によって結論が変わります。実際、リバタリアン系の論者の間でも、自由な移民を強く支持する立場から、福祉国家や公共財産が存在する現状では制限が必要だとする立場まで幅があります。

移民は、その後のパレオリバタリアンや右派リバタリアンの内部でも、重要な対立点の一つになりました。

国境を開くべきか自然権論と帰結主義(第4節)/パレオリバタリアニズム

論点⑥ 子どもの権利と親の権限

自己所有権は、まだ判断能力が十分でない子どもにどう適用されるのか。親の権限はどこから生まれ、どこで終わるのか。

子どもも一人の人間であり、権利の主体である。しかし、その権利を本人がどこまで自分で行使できるのかは、判断能力の発達と切り離せません。親は子どもの所有者ではないとすれば、親が子どもに代わって決定できる権限は何によって正当化されるのか。そして、その権限は子どもの成長とともにどのように縮小していくべきなのか——ここは権利論の内部でも答えが大きく分かれてきました。

帰結主義の立場では、どの制度が子どもの福祉や将来の自立にとって、よりよい結果をもたらすのかを重視します。

この論点は、教育の義務、医療における同意、児童労働の規制など、具体的な問題に直結します。

子どもは誰のものか自然権論と帰結主義(第4節)

論点⑩ 最低限の生活保障

政府が最低限の生活を保障することは、認められるのか。

意外に思われるかもしれませんが、ハイエクは一定の最低生活保障を認めました。『隷従への道』第9章では、健康と労働能力を保つに足る最低限の食・住・衣を万人に保障することは可能だと述べています。1945年のラジオ討論では、特定の現物ではなく最低限の所得の保障だと明確にし、『自由の条件』(1960年)でも、誰も一定水準以下に落ちないための最低所得の保障を、自由社会と両立しうるものとして認めました。

ただし、これはすべての人に無条件で同額を給付するベーシックインカムと同じではありません。ハイエクが想定していたのは、困窮したときに最低線を下回らないための保障です。

ミルトン・フリードマンは負の所得税を提案しました。一定の所得に満たない人には、税を取る代わりに現金を支給する。既存の複雑な福祉制度をこれに置き換えることで、行政機構や政治的な裁量を小さくしようという発想です。フリードマン自身も、負の所得税を既存の福祉制度を段階的に置き換える方法として説明しています。

一方、ロスバードは、徴税そのものが財産権を侵害する以上、それによって賄われる再分配も正当化できないと考えます。彼の立場では、制度を簡素化すればよいという問題ではなく、そもそも強制的に財産を移転する権限が国家にあるのかが問われます。

この論点で重要なのは、二つの問いを分けることです。「税による最低生活保障そのものを認めるか」は、原理の対立です。一方、現に政府による生活保障を行うのであれば、複雑な現物給付や個別制度と、単純な現金給付のどちらが介入と行政裁量を小さくできるかという別の比較もできます。こちらは制度設計の問題です。
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06

貨幣と銀行 ― 論点⑨

最後の一つを、独立して扱います。

論点⑨ 中央銀行は必要か。通貨は自由化されるべきか

この論点を別に扱うのは、他の論点とは少し性質が違うからです。

貨幣は、経済全体の取引を広く媒介しています。そのため、貨幣制度のあり方は、特定の産業や集団だけでなく、広範な価格、金利や金融条件、所得や資産の配分に横断的な影響を与えます。個別の税や規制とは違い、経済全体にかかわる制度です。

この論点は、少なくとも三つの層に分かれています。

  1. 中央銀行は必要か。政治から一定の独立性を持つ中央銀行を残し、その裁量をルールで制約するのか。それとも、通貨発行の独占そのものを廃止すべきなのか。
  2. 部分準備銀行を認めるか。中央銀行に批判的な論者どうしでも、ここで意見が分かれます。自由銀行派は、当事者が合意した部分準備の預金契約を認め、銀行間競争によって規律されると考えます。一方、100%準備派は、要求払い預金を保管契約として捉え、その全額をいつでも返せるよう準備しておくべきだと考えます。ここでは、契約の自由と財産権をどう考えるかだけでなく、要求払い預金という契約そのものをどう理解するかも争点になります。
  3. 通貨そのものを競争させるべきか。ハイエクは『貨幣発行自由化論』で、政府による通貨発行の独占をやめ、複数の民間発行者の通貨を競争させる構想を提示しました。

それでも、重なる部分はあります。中央銀行に批判的な自由主義者の多くは、政治が貨幣制度を財政目的に利用することや、中央銀行に大きな裁量を集中させることに警戒します。

しかし、その先の答えは分かれます。中央銀行を残したうえで明確なルールによって縛るのか。中央銀行を廃止して自由銀行制度へ移るのか。さらに、部分準備銀行まで認めるのか、100%準備を求めるのか。

「中央銀行に反対する」だけでは、どのような貨幣制度を支持するのかは決まりません。

部分準備銀行を認めるかお金と中央銀行を、リバタリアンの視点で考える

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07

10の論点 一覧

10の論点を一覧にまとめます。「型」の欄は、第2節で示した対立の種類を指します。

論点主な分岐詳しく読む
① 政府は必要か根拠・事実最小国家論 / 無政府資本主義最小国家か、無政府資本主義か
② 税の正当化根拠原理的に不正 / 水準と使途によって評価減税を考える
③ 土地と天然資源根拠但し書き不要 / 但し書きを残す / 土地は別扱い土地は誰のものか
④ 知的財産根拠・事実財産権として認める / 独占権として批判するアイデアは所有できるのか
⑤ 移民根拠・事実移動と契約の自由 / 私有財産秩序を模した越境管理国境を開くべきか
⑥ 子どもの権利根拠子どもの自己決定 / 親の代理決定の範囲子どもは誰のものか
⑦ 環境と公害根拠・事実財産権侵害として処理 / 規制・課税・取引制度を比較空気は誰のものか
⑧ 軍事介入と同盟根拠・事実・優先順位非介入主義 / 防衛・抑止としての同盟本ページ第3節
⑨ 中央銀行と通貨根拠・事実・優先順位中央銀行のルール化 / 自由銀行 / 100%準備 / 通貨競争部分準備銀行を認めるかお金と中央銀行
⑩ 最低限の生活保障根拠・移行最低保障を認める / 徴税による再分配を否定する本ページ第5節

型の凡例は次のとおりです。

  • 根拠の型——権利から出発するか、結果から出発するか
  • 事実の型——原理ではなく、現実がどうなっているかについての判断が違う
  • 優先順位の型——複数の原理が緊張するとき、どちらをより重く見るか
  • 移行の型——終着点は同じでも、そこへどう到達するか

多くの論点が複数の型をまたいでいます。一つの論点の中でも、どの層で対立しているのかを見分けることが、議論を進める鍵になります。

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08

分かれる論点との付き合い方

意見が分かれている論点と、どう付き合えばよいのか。五つ挙げます。

① 分かれていることを隠さない

自由主義を紹介するとき、内部の分岐を伏せたほうが、まとまりのある思想に見えるかもしれません。しかし、それは事実に反しますし、詳しく学べばいずれ分かります。

むしろ、「ここは決着していない」と言えることが、思想としての強さです。すべてに答えを用意している体系は、たいてい答えを用意しているふりをしています。

② どの型の対立かを見分ける

第2節で示した四つの型を思い出してください。

相手が事実について論じているのに原理だけで答えたり、原理について論じているのにデータだけで答えたりすると、議論は空回りします。まず、何について争っているのかを確かめる。それだけで、無用な応酬をかなり減らすことができます。

③ 一致点のほうが広いことを忘れない

10の論点のなかには、思想の土台に関わる重要な分岐もあります。しかし、現実の政策をめぐっては、大きな方向で一致する場面も多くあります。

内部の論争にばかり目を向けると、この重なりを見失います。逆に、一致している部分だけを見て土台の分岐を伏せれば、自由主義を実際より単純な思想として描くことになります。

一致しているところと、分かれているところ。その両方を見る必要があります。

④ 決着していない問いに、決着したふりをしない

本ページは応用編Ⅰ(リバタリアン内部の論争)に属します。ここで扱うのは、リバタリアンの内部で現に議論が続いている論点です。そのため、対立する立場をそれぞれの論拠とともに示し、どちらが正しいかという結論は示していません。

それは判断を避けているのではありません。現に議論が続いている問いを、すでに答えが出た問題のように扱わないためです。それぞれの論拠を読んだうえで、どちらに立つかを決めるのは読む人です。

なお、リバタリアニズムやオーストリア学派と、その外部との論争を扱う 応用編Ⅱ では、研究所としての結論を明確に示しています。両者は役割が違います。

⑤ 自分がどこに立っているかを確かめる

最後に、実際に使える手順を一つ。

10の論点について、自分が答えを持っているものと、まだ答えを持っていないものを書き出してみてください。

すべての論点について、最初からはっきりした答えを持っている人は多くないでしょう。「考えたことがなかった」「どちらの言い分にも一理ある」というものがあっても、それでかまいません。

そのうえで、答えを持っている論点について、その答えが四つの型のどこから来ているのかを確かめてみてください。

  • 権利から出しているのか、結果から出しているのか(根拠の型)
  • その結論は、どんな事実が判明したら変わるのか(事実の型)
  • 他の原理と衝突したとき、何を優先しているのか(優先順位の型)
  • 「いますぐ」なのか、「順序を踏んで」なのか(移行の型)

この作業をすると、自分の主張のどこが強く、どこがまだ十分に考えられていないのかが見えてきます。

とくに、「その結論は、どんな事実が判明したら変わりますか」という問いは重要です。事実についての主張なのか、それとも価値判断なのか。あるいは、その両方が混ざっているのかを見分ける手がかりになります。そしてこの問いは、相手だけでなく、自分の主張にも同じように向ける必要があります。

応用編Ⅰ ― すべての論争

このページで扱った10の論点のうち、専用ページがあるものを論点番号つきで並べます。そのあとに、10の論点の枠には入らないものの、リバタリアン内部で議論が続いている論争を挙げます。「Draft · 編集中」のページは、現在も内容を見直しているところです。

10の論点を詳しく読む

論点②(税)、論点⑧(軍事介入と同盟)、論点⑩(最低限の生活保障)は、いまのところこのページの解説だけです。税については、テーマ解説の 減税を、リバタリアンの視点で考える もあわせてご覧ください。

10の論点の枠に入らない論争

学派の外からの批判は、応用編Ⅱの AIで計画経済は可能か で扱っています。

入門から読み直したい方は 自由主義とは、目的別の読書案内は 自由主義の読書案内 をご覧ください。

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References

出典・参考リンク

  1. ジョン・ロック『統治二論』第二論(原初取得と「他人に十分な、同じだけよいものが残されている限り」という但し書き) — Project Gutenberg(英語全文)
  2. ヘンリー・ジョージ『進歩と貧困』(1879年。土地の価値と地代への課税をめぐる古典) — Project Gutenberg(英語全文)
  3. フランツ・オッペンハイマー『The State』(独語原著 Der Staat は1908年、英訳は1922年。国家の起源と発展を、社会契約説とは異なる社会学的な視点から論じた古典) — Mises Institute(英語全文)
  4. F・A・ハイエク『隷従への道』第9章(最低限の生活保障について)。1945年のラジオ発言と『自由の条件』(1960年)でも同じ立場を維持しています
  5. ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』(1962年。第12章「貧困の緩和」で負の所得税を提案)
  6. 「戦争は国家の健康法である(War is the health of the State)」は、ランドルフ・ボーンが1918年に残した未完の遺稿「The State」による句です(死後、『Untimely Papers』1919年に収録)
  7. 入門としての一覧は当サイトの 自由主義とは(8章 意見が分かれる論点)

※ リンク先は各公開元のサイトです。所在は掲載時点のものです。

応用編を読み進める

それぞれの論点を、独立したページで詳しく扱っています。入門から読み直したい方は「自由主義とは」へ。