選挙で自由は実現できるのか ― 政治参加とアゴリズム
政府を小さくしたい。税を減らしたい。規制をなくしたい。では、そのために選挙へ出るべきなのでしょうか。候補者を立て、議員になり、法律を廃止する——これが最も分かりやすい方法に見えます。ところが、まったく違う答えを出したリバタリアンがいました。「国家をなくしたいのに、なぜ国家の権力を取りに行くのか」——この問いをめぐって、リバタリアン運動は戦略の根本で割れました。
内容は概ね固まっていますが、最終確認中です。
政府を小さくしたい。税を減らしたい。規制をなくしたい。では、そのために選挙へ出るべきなのでしょうか。候補者を立て、議員になり、法律を廃止する——これが最も分かりやすい方法に見えます。ところが、まったく違う答えを出したリバタリアンがいました。「国家をなくしたいのに、なぜ国家の権力を取りに行くのか」——この問いをめぐって、リバタリアン運動は戦略の根本で割れました。
内容は概ね固まっていますが、最終確認中です。
「自由を広げる活動」と言っても、方法は一つではありません。少なくとも次の5つは分けて考える必要があります。
| やること | |
|---|---|
| 1 思想・教育 | 本を書く、講演する、教える、発信する。社会の考え方そのものを変える |
| 2 政党・選挙 | 候補者を立て、投票し、議員になり、減税や規制撤廃の法案を通す |
| 3 制度の内側からの政策活動 | 政策を提案し、議員や行政に働きかけ、裁判を通じて政府の権限を制限する |
| 4 非政治的な直接行動 | 相互扶助、民間仲裁、代替教育など、国家に頼らない仕組みを自分たちで作る |
| 5 アゴリズム | 国家が禁止・規制している平和的な経済活動の領域を、意識的に広げる |
3番目については、当サイトの リバタリアン運動は、どこへ向かうのか で「ベルトウェイ」として扱っています。ただしそこでの対立軸と、このページの対立軸は違います。ベルトウェイをめぐる論争は「どこで活動するか」の話でした。このページで争われているのは「政治参加という手段を使ってよいか」です。
誤解されやすいので先に書いておきます。アゴリズムは、政治から降りることではありません。強い政治的な目的を持っています。
ただしその目的を、政治権力の獲得によってではなく、市場による国家の代替によって達成しようとします。
国家の権力を取りに行くのか。それとも、国家を必要としない仕組みを先に作るのか。
以下では、この対立を当事者双方の言葉で追います。研究所としての結論は示しません。
※ このページは思想史と戦略論を扱います。特定の法律を破る方法や、規制・課税を回避する手口は一切扱いません。また、いずれの戦略も推奨しません。
↑ 目次へ戻るサミュエル・エドワード・コンキン3世(Samuel Edward Konkin III、1947年7月8日–2004年2月23日)は、カナダに生まれ、のちに米国ロサンゼルスを拠点として活動したリバタリアン思想家・編集者です。
1980年10月、彼は『New Libertarian Manifesto』を刊行しました。30頁ほどの小冊子ですが、構成そのものが彼の考えを表しています。
| 章 | 位置づけ |
|---|---|
| I. STATISM | Our Condition(現状) |
| II. AGORISM | Our Goal(目標) |
| III. COUNTER-ECONOMICS | Our Means(手段) |
| IV. REVOLUTION | Our Strategy(戦略) |
| V. ACTION! | Our Tactics(戦術) |
目標・手段・戦略・戦術が、それぞれ独立した章として立てられています。コンキンにとってリバタリアニズムは「自由な社会が望ましい」という哲学だけでは不十分でした。
そこへ到達する手段までが、自由主義の原理と一致していなければならない。
agorism の語は、古代ギリシア語の ἀγορά(アゴラ)に由来します。この語はもともと「民会・集会」を意味し、そこから「集会の場」「広場」、さらに「市場」の意味を持つようになりました。
コンキン自身は同書で、この語を「開かれた市場(open marketplace)」と要約しています。
彼が目指す「アゴラ」は、国家の強制ではなく、自発的な交換、契約、競争、私有財産、不侵略によって成り立つ社会です。そして重要なのは、その社会を目標に掲げるだけでなく、そこへ向かう途中でもできるかぎり自由市場を実践するという点でした。
同書の初版序文(1980年10月付)で、コンキンはこう書いています。
ニュー・リバタリアニズムの基本形は、1973年、その形成過程にあったリバタリアン党との私の闘いのなかで生まれた。そしてカウンター・エコノミクスが初めて公に提示されたのは、1974年2月、ロサンゼルスの Free Enterprise Forum においてである。
リバタリアン党そのものは1971年12月11日にコロラドスプリングスで設立され、1972年6月にデンバーで最初の全国大会を開いています。コンキンが対立したのは、その初期の形成過程でした。
(1974年2月の件については、この1980年のコンキン自身の回想が唯一の典拠です。当時の一次記録は確認できていません。)
↑ 目次へ戻るアゴリズムの中心概念がカウンター・エコノミー(Counter-Economy)です。
コンキンは『An Agorist Primer』で、こう定式化しました。
(非強制的な)人間の行為であって、国家に抗して行われるもののすべてが、カウンター・エコノミーを構成する。
括弧内で、コンキンは殺人と窃盗を分析上あらかじめ除外しています。
⚠ この除外の理由づけは、本ページでは訳出していません。『An Agorist Primer』は流通部数が少なく、信頼できる公開元から原文を確認できていないためです。唯一オンラインで全文が置かれていたドメインは、現在オンラインカジノへ転送されており、利用しませんでした。
ただし、除外そのものはコンキンの市場分類と整合します。『New Libertarian Manifesto』の注で彼は、「赤い市場(red market)ははっきり区別できる。殺人は赤い市場である」と書き、暴力の行使を、国家が禁じているだけの取引(黒い市場・灰色の市場)から分けています。暴力を伴う行為は、そもそもカウンター・エコノミーの外側にあるという整理です。
ここは正確に読む必要があります。日常語で「闇市場」と言えば、窃盗、強盗、詐欺、暴力までを連想することがあります。
コンキンの定式では、これらは明示的に除外されています。
他人の身体や財産を侵害する行為は、国家が禁じているかどうかにかかわらず、リバタリアンの原理に反する——というのがその理由です。
したがってコンキンが対象としたのは、国家によって禁止・規制されているが、それ自体は当事者間の合意にもとづく平和的な活動でした。
(なお、彼の定義文が名指しで除外しているのは殺人と窃盗です。「詐欺」という語は定義文には現れません。ただし他人の財産を侵害する行為である以上、同じ理由で排除されると読むのが自然です——これは本ページの読み方であり、原文にその語があるわけではありません。)
コンキンはこの概念を生涯にわたって書き直しており、単一の定義を持っていません。「実践」を指す場合、「研究」を指す場合、その両方を指す場合があり、著作によって力点が違います。『New Libertarian Manifesto』では明示的に「実践のほう」に限定すると述べています。
『An Agorist Primer』第8章で、コンキンはカウンター・エコノミーが横にも縦にも成長すると述べています。
つまり「国家の仕事を廃止してから民間が代わりを作る」のではなく、「民間の代替制度を先に作り、それが育つことで国家を不要にする」という順序です。
市場の言葉で言えば、国家という独占企業を正面から占拠するのではなく、競争相手を作って利用者を奪うという戦略になります。
↑ 目次へ戻るコンキンは、リバタリアンが政党政治によって自由を実現しようとする戦略をパーティアーキー(partyarchy、政党による支配)と呼びました。『New Libertarian Manifesto』第1章にこうあります。
最悪なのはパーティアーキーである。すなわち、国家主義的な手段——とりわけ政党——によってリバタリアンの目的を追求するという反概念である。
「反概念(anti-concept)」という語からも分かるとおり、これは明確な批判語です。語のかたちも、アナーキー(an-archy)に対するパーティアーキー(party-archy)という語呂合わせになっています。
(この語はコンキンの用語として知られていますが、彼自身が造語したと断定はできません。彼は「カウンター・エコノミクス」については自ら造語したと明記している一方、パーティアーキーについては受動態で「そう呼ばれていた」と書いています。)
アゴリズムの最も根本的な考えです。国家とは強制によって成り立つ制度である。リバタリアンの目的はその強制をなくすことである。それなのに、国家の役職を得て、国家の権力を使って国家をなくすという方法は、目的と手段が矛盾しているのではないか。
政党をやれば票が要ります。票を増やすには、この政策では急進的すぎる、ここは少し妥協しよう、この税を完全に廃止するのではなく5%だけ下げよう——という圧力が生まれます。
コンキンはロスバードへの反論のなかで、こう書いています。「票とは、政党にとっての利潤である」。そして、ある抑圧を和らげてくれるかもしれないという理由で、われわれを抑圧する政治家を支持することは不道徳だと論じました。
選挙に出る、公職に就く、国家の予算を受け取る、議会で投票する。これらの行為は「国家の制度は、正しい人が使えば正当である」というメッセージを社会へ送るのではないか——という懸念です。
コンキンが主宰した団体は、投票そのものへの反対を公然と呼びかけるパンフレットを出しています。『New Libertarian Manifesto』にも「誰にも投票するな」「上記のいずれでもない」「投票をボイコットせよ」といった呼びかけの例が挙げられています。
ただし「投票それ自体が侵害である」と定義した記述は見当たりません。同書で絶対的に禁じられているのは、暴力の先制的な行使だけです。
また、彼は政治的なものを一切やらなかったわけでもありません。広報上の擬似政治的な手法や、既存のリバタリアン団体への働きかけは、戦術として認めています。
選挙戦略では「次の選挙に勝てば変えられる」と考えます。アゴリズムは「自由にできることは、今日から自由にすればよい」と考えます。
ここにアゴリズムの魅力があります。未来の政治的勝利を待たず、現在の生活のなかで自由を増やすという発想です。
↑ 目次へ戻るこれに正面から反論したのがマレー・ロスバードでした。
重要なのは、ロスバード自身も無政府資本主義者だったことです。つまり「国家は必要だから選挙に参加せよ」という反論ではありません。国家そのものを最終的には廃止すべきだ。ただしそのためには政治的行動が要る——というのが彼の立場でした。
この論争には、それ自体が興味深い経緯があります。ロスバードの批判「Konkin on Libertarian Strategy」は1980年11月10日付で寄稿され、1981年5月、コンキン自身が発行した特集号に掲載されました。同年8–9月には「The Anti-Party Mentality」として別誌に再録されています。
ロスバードの批判で最も強いのがこの点です。
コンキン流のアゴリズムは答えにならない。……自由についての教育はもちろん不可欠だが、それだけでは足りない。国家を押し戻すための行動、とりわけ価格統制や源泉徴収税のような国家の法律を廃止する行動もまた、取られなければならない。あるいはマリファナ法のようなものでさえも。
ある禁止法が存在していて、多くの人が無視していたとします。警察はすべての違反者を取り締まれません。それでも法律そのものは残ります。だから政府は、ある人だけを逮捕することも、見せしめとして罰することも、別件捜査の材料にすることも、政治的な理由で突然取り締まりを強化することもできる。
ロスバードは、あの源泉徴収税をなくす方法は一つしかないとして、こう書いています。「その名を口にしてよいだろうか。それは政治的行動である。」
徴税についても同じ問題があります。自営業者は一部の課税を回避できる場合があります。しかし給与から税を差し引かれる人はそう簡単ではありません。
一部の人が国家を迂回できても、制度に捕まったままの人は残ります。その人たちを自由にするには、制度そのものを変える必要がある、というのが彼の考えでした。
ロスバードは、投票それ自体を侵略とは考えませんでした。
リバタリアン党はそれ自体として悪なのか。投票はそれ自体として悪なのか。私の答えは、否である。
……国家が周期的に二人以上の主人のあいだの選択を許すのであれば、より穏当な主人を選ぶために、あるいは抑圧を廃止・撤廃する人を当選させるために参加することは、侵略者になることではないと私は考える。
新しい税を作るために投票することと、税を廃止するために投票することは、道徳的に同じではない。強制を増やす権力行使と、既存の強制を解除する行為を区別する——という考え方です。
ただしロスバードは、この区別を絶対視してもいません。同じ箇所で、目に見える抗議のために投票しないほうがよい状況もありうるとしたうえで、「しかしこれは戦術上の考慮であって、道徳上の考慮ではない」と書いています。
ここが両者の最も鋭い衝突点です。どちらの言い分も、そのまま引きます。
ロスバードの批判:
そして最終段階では、闇市場の機関が、違法な取引や納税抵抗者などを国家から守るために力を用いる。コンキンはそのようなものとして認めていないが、これは暴力革命である。そして、自由な選挙のある民主制の国で暴力革命が成功に近づいた例は一つもないというのが、単純な歴史的真実である。
そして彼は、アゴリズムは行き止まりであり、古いスターリン主義の用語を使えば「客観的には反革命的」だと結論づけました。
コンキン側の記述は、正反対です。『New Libertarian Manifesto』第4章には、「いかにリバタリアン的な結果がもたらされそうに見えようとも、いかなる暴力行為も決して先制して開始してはならない」とあります。彼が主宰した団体のパンフレットは、「革命」をこう定義しています——敗れつつある国家主義者が権力にしがみつこうとする最後の暴力的な試みが「反革命」であり、革命とは、それに先立つ、人々が支配されることを平和的に拒むことである、と。
コンキン自身の再反論も、「アゴリズムは暴力革命ではない」と否定するかたちではありませんでした。彼が否認したのはロスバードの歴史的な一般化のほうで、暴力革命が歴史上成功したことはないという主張は言葉か歴史かのどちらかを歪めている、と論じています。
両者が対立しているのは「暴力革命か否か」ではない。
最終局面で誰が最初に力を用いるのか、という記述をめぐって対立している。
ロスバードはまた、コンキンが組織や階層そのものに敵対しているように見えると述べ、自発的に行われるかぎり組織・階層・指導者と追随者に反リバタリアン的なところは何もない、と論じました。
ただしコンキンはこれを否定しています。株式会社に反対したことは一度もない、『New Libertarian Manifesto』を書いたあとに自分の雑誌を所有するためにまさにそれを設立した、と。実際、彼は複数の団体と定期刊行物を運営していました。
もっとも、彼が主宰した団体のパンフレットには「指導者はいない」と明記されています。正確に言えば、組織は作るが、指導者と階層を明示的に否定する組織を作った、ということになります。
↑ 目次へ戻るここは落としてはいけないところです。ロスバードの立場を「選挙に出て、少しずつ現実的な改革をすればよい」と理解すると、正確ではありません。
彼はむしろ、政治参加による原則の希薄化を強く警戒していました。
1978年の「Strategies for a Libertarian Victory」(『The Libertarian Review』1978年8月号)で、ロスバードは二つの逸脱を区別します。
一方の極には「左派セクト主義」の逸脱があり、他方の極には「右派日和見主義」の逸脱がある。
……この二つの戦略的逸脱はどちらも、正しい目標にとって致命的である。左派セクト主義は事実上勝利を放棄するがゆえに、右派日和見主義は事実上自由を放棄するがゆえに。
純粋な最終目標だけを掲げ、現実に自由を増やす中間的な行動を一切拒むこと。逆に、選挙で受け入れられやすくするために最終目標を隠し、原則に反する政策まで支持してしまうこと。ロスバードが求めたのは、そのどちらでもありません。
彼はこう書いています。リバタリアンは、便宜と称して、完全な自由という究極の目標を否認したり隠したりしては決してならない。
実際に彼は、1974年のニューヨーク州知事選で右派共和主義とほとんど区別がつかない選挙戦を展開した候補を名指しで批判し、1980年の大統領選挙でも同様の誘惑に「大いなる熱意をもって屈した」と陣営を批判しています。
同じ1978年の論考で、ロスバードはリバタリアン党をこう評価しました。
リバタリアン党は、たとえ主要な公職に誰一人当選させることがなかったとしても、リバタリアン運動にとって不可欠な器官である。
理由は、選挙のときにだけ政府の介入に関心を持つ多くの人へ、自由市場の考えを届けられるからだ、というものでした。1981年の対コンキン論考でも、リバタリアン党は国家主義を廃止するうえで不可欠だと述べています。
これを書かずに済ませることはできません。
ロスバードは1989年夏の党大会を機に、リバタリアン党と事実上決別します。翌1990年5月には、同党について「リバタリアン党はまさしく救いようがない」と書き、自分たちの多くは肉体において、そして全員が精神においてすでに党を去った、と述べました。
つまり——
ロスバードの政党擁護は、1978年から1981年ごろの立場である。
時期を落として「ロスバードはリバタリアン党を支持していた」と書けば、後年の本人が自ら否定した立場を、彼の立場として提示することになります。
もっとも、彼が向かった先はアゴリズムではありませんでした。彼が晩年に選んだのは、保守層との連携を模索するパレオリバタリアニズムという別の戦略です(→ 保守と組むべきか)。
↑ 目次へ戻るある平和的な行為が法律で禁止されている。しかし国民の95%はその法律を無視し、警察もほとんど取り締まらない。
アゴリズム側——実質的には国家の支配が崩れている。人々が自由に行動し続ければ、法は空文化していく。
政治参加側——残る5%が逮捕されるなら、その人たちにとって自由は実現していない。法律そのものを廃止しなければ、国家はいつでも執行を復活できる。
ここでは「自由とは、法律がないことなのか。それとも、国家が実際に介入できないことなのか」が問われます。
無政府資本主義者の議員Aがいます。議会で所得税を完全に廃止する法案が採決され、Aの一票で可決できます。しかしAは「国家の議会で投票すること自体が国家への参加だ」として棄権しました。
これは原則に忠実でしょうか。それとも、廃止できたはずの強制を残したのでしょうか。
このケースは、手段の純粋性と、実際に強制を減らした結果のどちらを重視するかを鋭く示します。
現行制度には100の規制があります。完全撤廃案には議会の支持がありません。しかし50の規制だけ撤廃する法案なら成立します。
漸進を認める側——50でも自由が増えるなら賛成すべきだ。残りは次に廃止すればよい。
反論——「50で十分」というメッセージを与え、残った規制を正当化しかねない。さらに新制度を支持することで、原則が曖昧になる。
ロスバード自身は中間的な自由化をすべて否定したわけではありませんが、最終目標を隠す日和見主義には反対しました。したがって本当の問いは「一部撤廃に賛成するか」だけでなく、それを最終到達点として売り込むのか、完全な自由化への一歩として明示するのかにあります。
多くのサービスが国家の外側へ移り、人々が民間の仕組みを使うようになったとします。国家の制度を使う人は減りました。
では政府は静かに撤退するでしょうか。それとも、権限が脅かされているとして規制・捜査・課税を強化するでしょうか。
コンキンは、カウンター・エコノミーが十分に成長すれば国家が押さえ込めない段階に達すると構想しました。ロスバードは、最終局面では国家との実力衝突が避けられず、それは実質的に暴力革命の問題になると批判しました(→ 第5節)。
ここでは「国家は市場競争に負ければ自然に撤退する存在なのか」という国家観そのものが問われます。
コンキンは選挙制度そのものを原理的に拒みました。一方、ロスバードの政治参加論は、少なくとも選挙や法改正を通じて一定の政策変更が可能な社会を念頭に置いています。
では、選挙が事実上存在しない国、結社が禁止されている国、政府批判が処罰される国ではどうでしょうか。
政治参加の有効性は大きく変わります。逆に、自由な選挙と法の支配が比較的機能している社会では、制度内改革の費用は低くなります。
このケースは「正しいリバタリアン戦略は普遍的に一つなのか。それとも、国家の制度や時代によって変わるのか」という問題を提起します。
↑ 目次へ戻る| 問い | コンキン(アゴリズム) | ロスバード(政治参加も使う) |
|---|---|---|
| 最終目標 | 国家を市場と自発的秩序で置き換える | 国家を最終的に廃止する |
| 国家観 | 強制的な制度 | 強制的な制度 |
| 選挙 | 原則として拒む | 自由を増やすなら利用できる |
| 政党 | パーティアーキーとして否定 | 原則を守れるなら有用になりうる |
| 法律の廃止 | 国家を迂回し、空文化させる | 正式な廃止が必要 |
| 主な戦略 | カウンター・エコノミー | 教育+運動+政治的行動 |
| 最大の懸念 | 政治参加が原則を蝕み、国家を正当化する | 国家の実力と法律を無視しても自由は実現しない |
この表を見ると、両者の対立が「国家を認めるか認めないか」ではないことが分かります。
どちらも国家そのものを根本から批判している。
違うのは、国家の権力を一時的に利用してその権力を縮小できるか、という一点である。
| 確定していること | 評価が分かれること |
|---|---|
| コンキンの定義が「非強制的」を組み込み、殺人と窃盗を明示的に除外していること | その定義が、現実の地下経済をどこまで説明できるか |
| ロスバードが投票を侵略とは考えなかったこと | 制度への参加が、結果として国家を正当化するかどうか |
| ロスバードが1978〜81年に党を高く評価し、1989年に離れたこと | その経緯が、政治参加戦略の失敗を示すのかどうか |
| ロスバードが「最終局面は実質的に暴力革命だ」と批判したこと | それがアゴリズムの正確な描写なのかどうか(コンキンは認めていない) |
| コンキンが「いかなる暴力行為も先制して開始してはならない」と書いたこと | その原則が最終局面まで維持できるかどうか |
| コンキンが複数の団体と刊行物を運営していたこと | 「指導者はいない」とする組織が実際に機能しうるかどうか |
コンキンが主宰した団体の名称には「リバタリアン左派」という語が含まれます。これは、当サイトの 土地は誰のものか で扱っているスタイナーらの「左派リバタリアニズム」とは別系統です。前者は市場アナーキズムに近い流れ、後者は自己所有権と自然資源への平等な権利を組み合わせる現代政治哲学の立場です。同じ日本語になりますが、指しているものが違います。
アゴリズムには、政治参加への鋭い警告があります。自由を実現するために政治へ入った人が、いつの間にか選挙に勝つことを優先し、妥協し、国家の制度をうまく運営する人になってしまう。これはリバタリアン運動が繰り返し直面してきた問題です。
一方、ロスバードの問いも残ります。法律を無視する人が増えても、法律が残っているなら、誰がそれを廃止するのか。自由な市場を国家の外側に作っても、警察・徴税・規制当局が残っているなら、その強制力をどうするのか。
そして、政治をすべて拒むことで、実際には廃止できたはずの税や規制を残してしまうなら、それは自由を前進させる戦略と言えるのか。
リバタリアン運動には、少なくとも三つの道があります。
国家の権力を取って縮小する。
国家の制度の内側から縮小する。
国家を迂回し、自由な制度で置き換える。
どの方法がもっとも自由を実現できるのか。そして——
どの方法なら、自由を実現する途中で自由そのものを失わずに済むのか。
リバタリアニズム内部の他の分岐については 応用編Ⅰ(リバタリアン内部の論争) を、「誰と組むか」という別の戦略論については リバタリアン運動は、どこへ向かうのか をご覧ください。
↑ 目次へ戻る※ 出典が構造的に非対称である点をお断りしておきます。ロスバード側の資料はミーゼス研究所とケイトー研究所が、コンキン側の資料は彼の版元が公開しています。いずれも当事者側の公開元です。
※ 本ページは思想史と戦略論を扱うものであり、特定の法律を破る方法や、規制・課税を回避する手口は扱いません。また、ここで紹介したいずれの戦略も推奨するものではありません。リンク先は各公開元のサイトです。所在は掲載時点のものです。